2016年04月22日
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2016年04月22日
1932年4月22日は、世界的に知られるシンセサイザー音楽のパイオニア、冨田勲が生まれた日。東京で医師の長男として生まれた冨田は、戦後から作曲家として創作活動を始め、ポピュラー音楽から交響曲まで幅広い分野で知られる、現役最古参の作曲家の一人である。NHKの放送音楽からキャリアを開始し、劇伴を手掛けた大河ドラマは最多の5作に及ぶ。『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』など手塚治虫アニメのシンフォニックな主題歌は、我々ロック世代の音楽観の基礎を作った。そしてなにより、『月の光』(74年)で日本人初のグラミー賞ノミネートを果たした「世界のトミタ」として、シンセサイザー音楽というジャンルを開拓した巨人でもある。幼少期の夢は飛行機のメカニックになること。科学知識に長けていたことが後にシンセサイザー創作に向かわせることになるが、現在もヴォーカロイドなどの新しいテクノロジーにご執心。初音ミクと共演した『イーハトーヴ交響曲』(2012年)の発表などで、ボカロ世代の新しいファンを集めている。しかし、活動が多岐にわたる冨田の足跡を初心者が追うのは容易ではない。屈指のメロディーメーカーでありながら、なぜ『月の光』(ドビュッシー作曲)など代表作はクラシックピースを題材にしたものばかりなのか。
終戦を迎えたのは中学1年。戦時中「敵性音楽」と呼ばれた西欧クラシック、ジャズ、ラテンなどの音楽を、自作の鉱石ラジオで浴びるように聴いたという。最初からクラシックとポピュラー音楽に優劣はなかった冨田は、あえて東京藝術大学などのアカデミズムに進まず、慶應義塾大学の文学部に籍を置きながら、平尾貴四男、小船幸次郎に師事してオーケストレーションを学んだ。森永製菓のCM、日本コロムビアの学校教材などの編曲が初期仕事。実際にオーケストラを指揮しながら、書かれたスコアがどう音に置き換わっていくかを学習したという。ここでの体験が青年期の冨田に疑問を抱かせる。「この管と弦の組み合わせも、きっともう誰かが書いてるんじゃないか。ワグナーやラヴェル、ドビュッシー、ストラヴィンスキーがオーケストレーションを極めてしまったんじゃないか」と。
クラシックの場合、作品として発表されるのはピアノ譜、交響曲譜などのスコアで、作者の頭の中で作曲編曲はほぼ同時に行われる。しかし、ベートーヴェン「第九」の編曲で有名なマーラーや、ムソルグスキー、ドビュッシー作品を編曲したラヴェルなど、「編曲の世紀」と呼ばれた19世紀~20世紀初頭に、決定版のスコアが他者によって書かれた作品も多い。冨田は西欧クラシックの音楽史の中で、「編曲の革命」を起こしたワグナー、ラヴェルなどのポストに自らの歩むべき道を見つけた。音楽理論を学んだ弘田龍太郎は、童謡を普及させた功労者としても有名。冨田も親しみやすい単旋律にオーケストレーションを施し、荘厳な交響曲に仕上げるなど学芸部仕事で頭角を現した。それを聴いた手塚治虫が激賞し、あの『ジャングル大帝』の雄大なオープニング、劇中ミュージカル曲が冨田に依頼されるのだ。
冨田が幸運だったのは、商業仕事でのスタジオの指揮を通して、管や弦の組み合わせで音がどう変化していくかを凝視できたことだろう。NHKでは、高価な真空管式のグラフィック・イコライザーを通して弦や管の音を変形させ、原音忠実記録を至上とするエンジニアを困惑させたという。「画家がパレットに独自の色彩を作り出すように」というのは、大学で美学美術史を専攻した冨田らしい。ここでのエンジニアや演奏者との軋轢が、シンセサイザーという個人創作に向かう道筋を作った。またキャリアごく初期に、NHK第1放送、第2放送でL/Rのソースを流し、2台のラジオを使ってステレオ放送が楽しめる実験的番組『立体音楽堂』(54~66年)にも参加。編曲家が音響をもコントロールできることを学んだ。
大河ドラマ、手塚アニメの音楽で一時代を築く冨田の足跡は、自らが書いた著書『音の雲』(NHK出版)に詳しい。その期間も大半の時間が編曲に費やされ、74年にドビュッシーのピアノ曲をリアライズした、シンセサイザー作品第1作『月の光』が発表される。かつて武満徹は西欧クラシック音楽への対抗意識から、尺八などの邦楽器に自らのアイデンティティを託した。黛敏郎はオーケストラを使って、日本の梵鐘の音響を再現する『涅槃交響曲』を書いた。こうして先達が世界的に認められていったように、冨田も作曲ではなく編曲家として、まず世界で認められた。75年に『月の光』で日本人初のグラミー賞ノミネートの栄誉に。『バミューダ・トライアングル』(78年)、『大峡谷』(82年)と、生涯3度ノミネーションを受けた。その米国評価はイギリスにも飛び火し、国民的作家であるホルスト作の『惑星』(77年)は、EL&Pファンなどロック世代の支持を受けてアルバムチャートの上位に上った。
シンセサイザーは厳密には「鍵盤楽器」ではなく、電圧ですべてをコントロールする音響装置。鍵盤はあくまで、平均律にしたがって1オクターブを12等分に電圧を刻み、音階を演奏するためのモジュールに過ぎない。音楽は芸術であると同時に、数学であり物理学でもある。心地よい音色にはそう感じさせる倍音構成があり、気持ちよいコード展開にも一定の方程式がある。50~60年代にサスペンス、スリラー映画などの習作仕事で冨田は、ビルの非常階段にマイクを立てて残響を付けたり、テープレコーダーの再生ムラを使ったフランジング効果など、音の物理現象を録音テクニックとして用いた。シンセサイザー音楽第1号『スイッチト・オン・バッハ』(67年)がミリオンセラーとなり、アメリカで数多くの亜流が生まれながら、冨田のライバルとなる作家が遂に登場しなかったのは、こうした習作時代の実験の歴史が冨田作品の独自性を支えているからだろう。『惑星』では富士山頂からトランシーバーで音を飛ばして、遠距離によって発生する通信ロスをモジュレーターに。『ドーン・コーラス』(84年)では、宇宙から届く電磁波を変換してオシレーターに用い、自然界とのセッションを披露した。しばしば冨田が「雷の音は自然界に存在する最初の電子音」と語る視点は、音楽家というより物理学者が自然の摂理を語るときのような美学を感じさせる。
むろん今日ではシンセサイザー作品のみならず、冨田勲は作曲家、編曲家、交響曲作家としても高く評価されている。レコード化の機会が恵まれなかった「作曲作品」の研究はまだ始まったばかり。昨年CD化された『松竹120周年映画音楽集』(松竹ミュージック)で、コント55号の併映作品『びっくり武士道』(72年)に黎明期のモーグサウンドが顔を出していてビックリ。業界ファンから過去作品の復刻企画が寄せられるも、しかし冨田の意向で果たせないという話も聞く。67年に芸術祭奨励賞を受賞した『交響詩 ジャングル大帝』も、自作のテーマはあくまでモチーフに過ぎず、交響曲として新しく書かれた「編曲作品」。現在も過去作品の5.1サラウンド化に勢力を注いでいる。編曲家=冨田勲は今なお我が道を行く。
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