2015年08月24日
スポンサーリンク
2015年08月24日
本日8月24日は「新聞少年」のヒットで知られる山田太郎の誕生日。
橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の御三家や三田明が活躍した青春歌謡の時代は、東京オリンピックが開催された1964年前後にあたる。カヴァーポップスのヒットが一段落し、エレキブームが興っていた一方で、若者たちは皆が洋楽志向であったわけでは決してなく、極めてドメスティックな青春の歌が全国的に支持されていたのである。ビクターの橋、コロムビアの舟木など、各レコード会社にスター歌手がひしめく中、まだ新興メーカーだったクラウンは積極的に新人歌手が投入されたこともあってか、青春歌謡の宝庫だった。その中で西郷輝彦に次ぐ若手のホープとして美樹克彦と共に活躍を見せたのが山田太郎である。
東京・浅草に生まれ育った山田は、まだ15歳で中学3年生だった63年12月に「清らかな青春」でデビューした。新生クラウンの第一回発売のラインナップの内の一枚だった。「清く明るく美しく」「明日を信じよう」などの清廉で明朗なナンバーを歌った後、その名を一躍有名にしたのは、65年に出された10枚目のシングル「新聞少年」だろう。全国の働きながら学ぶ友たちを激励するような純朴な詞とメロディ。昭和の勤労少年はエラかった。面白いのは、その後ヒットにこそ至らなかったものの、同じ作家陣による「牛乳少年」という歌もしっかり歌っているのだ。 新聞の配達は今でも変わらずだが、牛乳を配達する風景は見かけなくなって久しい。カタカタと音を立てながら配達の自転車がやってきて、専用の木箱に牛乳瓶が届く瞬間は、子供心にワクワクしたものだ。
「新聞少年」のヒットで、65年の暮れに『紅白歌合戦』に初出場した山田は、翌年は「幸福はこだまする」、その翌年も「あの娘が恋をつれてきた」を歌って、3年連続の出場を果たし、その間にはNHKの大河ドラマ『源義経』にも出演するという活躍ぶりであった。それに肖ってか、「花の義経」という歌も歌っている。その少し前に出した「君は無敵の三冠王」は、当時戦後初の三冠王を獲得した、南海ホークス野村克也選手を讃える歌。後にホークスびいきの水島新司が漫画「ドカベン」の主人公を“山田太郎”としたのは単なる偶然だっただろうか。同時期には、アニメ『戦え!オスパー』の主題歌を歌っているのも興味深い。よく通る美声で高らかに歌い上げられる傑作は、寺山修司の作詞、冨田勲の作曲という作家の並びも凄い。エンディングテーマの「ユミのうた」は同じクラウン所属の東山明美が歌った。
65年にクラウンから再デビュー(ビクターから目方誠で一度デビューしていた)した美樹克彦が、主にリズム歌謡を得意としたのに対して、山田は極めて正統派な青春の応援歌を歌ってブームを牽引した。同い年のふたりがすっかりベテランとなった82年にユニットを組んだのはご存知だろうか。当時人気だったフジテレビのバラエティ『オレたちひょうきん族』でビートたけしが演じた「タケちゃんマン」のコーナーで、明石家さんまが扮した敵役・ブラックデビルの歌「好きさブラックデビル」を歌った。その名も“オレたち・昔アイドル族”。美樹自身の作曲による覚えやすいメロディでシングル盤も発売され、そこそこ売れたのではないだろうか。B面がふたりの代表作を合体させたタイトル「回転禁止の新聞少年」というのも揮っていた。85年からは父親の後を継ぎ、老舗の芸能事務所、新栄プロダクションの代表となる傍ら歌手としても現役。また、馬主としても知られ、日本馬主協会連合会副会長の要職に就いている。かつての新聞少年は立派に成長したのであった。
55年前の1964年の本日、8月5日に橋幸夫「恋をするなら」が発売された。この曲から「ゼッケンNo.1スタートだ」「チェッ チェッ チェッ」へと続く3部作こそ、橋と吉田正(作曲家)、佐伯孝夫(作...
本日が76歳の誕生日となる橋幸夫はザ・ビートルズで最年少だったジョージ・ハリスンやザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーおよびキース・リチャーズと同い年だが、1960年に弱冠17歳でレコー...
1981年、千代の富士が横綱になり、なめ猫がブームになったこの年に『オレたちひょうきん族』は始まった。EPOの「DOWN TOWN」をはじめとする洒落たエンディングから番組内で生まれた出演者たち...
作曲家・遠藤実の下でレッスンを重ね、「高校三年生」で颯爽とデビューした舟木一夫は、詰め襟姿をトレードマークに一躍時代の寵児となる。先にデビューしていた橋幸夫、後に続いた西郷輝彦と共に“御三家”と...
映画黄金時代の大スターは、みんな歌っていた。中でも日活映画は所属スターのレコード発売に熱心でリリース枚数も多く、それぞれ歌手としても大ヒットを飛ばしている。ことに小林旭の場合、映画と歌は不可分で...
1930年代には李香蘭という名前で中国人の女優・歌手として中国で活躍。戦後、日本に協力した裏切り者として死刑寸前のところを、命辛々日本に戻り、60年代末にはテレビの司会者、70年代以降は国会議員...
ハリー・ベラフォンテの1956年の大ヒット曲「バナナ・ボート(Banana Boat Song)」、日本でもカヴァー盤がリリースされた。歌っているのは18歳の新人歌手・浜村美智子。バッキー白片と...
「高校三年生」「星影のワルツ」など、歌謡史に輝く作品の数々を遺した作曲家・遠藤実は1932年7月6日、東京・向島に生まれた。ご存命であれば83歳になる。戦時中は新潟に疎開し、17歳で帰京してか...
美空ひばりは“歌謡界の女王”と呼ばれるに相応しい存在であるが、決して“演歌の女王”ではない。いわゆる演歌に傾倒したのは歌手生活におけるかなり後の時期であり、その頃とてもジャンルに捉われない曲を歌...
今日は偉大なコメディアン由利徹の誕生日。1921年生まれだから、御存命ならば94歳になっていた。ちなみに亡くなったのは1990年5月20日。享年78歳だった。由利徹は生涯一喜劇人として「ナンセン...
菊池正夫、テイチク・レコードではヒット曲「スタコイ東京」の一発屋として有名だが、その後、東芝レコードに移籍、「スタコイ東京の」再録など同じ路線を計っていたが鳴かず飛ばず、城卓矢と改名し再デビュー...