2016年09月29日
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2016年09月29日
忘れられない誕生日ってありますか? もしグランド・ファンク・レイルロードのギタリスト、マーク・ファーナーにこんな質問をしたら、「25歳の誕生日」と答えるかもしれない。
彼は1948年9月29日、ミシガン州フリントの生まれ。プロとしてはテリー・ナイト&ザ・ファブュラス・パック(後に“ファビュラス”が省略される)のベーシストとして64年にデビュー。その後、グループの活動と並行しながら、ソロ・シングル(67年)やファブュラス・パックのドラマーであるドン・ブリューワーとの共演シングル(68年)を発表したり、アリス・クーパーで知られるディック・ワグナー率いるボスメンのシングル(66年)に参加したりするが、テリー・ナイトのプロデュースとマネージメントのもと、D・ブリューワーとメル・サッチャー(ベース)を加えた3人組、グランド・ファンク・レイルロードとして69年に「タイム・マシーン」(第48位)で再スタートを切る。グループは最初から順調で、3枚目のアルバム『クローサー・トゥ・ホーム』(70年/第6位)が早くも大ヒット。つづく2枚組『ライヴ・アルバム』(70年/第5位)で当時、ワン・ランク・アップした印象を受けたものである。
では、なぜ25歳の誕生日が忘れられないのかと言うと、1973年9月29日にグランド・ファンク・レイルロードの「アメリカン・バンド」がシングル、アルバムを通じて初めて全米チャートのトップに輝いたからである。もっとも、忘れられないのはファンも同じだろう。過去12枚のシングルはトップ20入りさえしていなかったので、衝撃的な大ヒットだった。加えて、このシングルおよび同名のアルバム(第2位)からアメリカではグランド・ファンクと改名。当初は友人のピーター・フランプトンを候補に挙げていたが、前作『不死鳥』(72年/第7位)にゲスト参加していた元ファビュラス・パックのクレイグ・フロスト(キーボード)をこの時から4人目のメンバーとして加える。さらに、テリー・ナイトの手を離れ、『不死鳥』では自分たちでプロデュースしていたが、ここではトッド・ラングレンかリック・デリンジャーで迷った末、最終的に前者に決めて制作を依頼。それ以前は「単に音がデカイだけ」などと悪口も言われたが、この曲からは歯切れの良い、メリハリの利いたサウンドが楽しめるようになっている。
作品自体はロード・ムーヴィーならぬロード・ソングとでも言える“ツアー狂騒曲”で、体力的に過酷なスケジュールやライヴの興奮、コンサートの後のお楽しみなどが綴られている。歌詞にその名が出てくるテキサスのブルース・ギタリスト、フレディ・キングにサポーティング・アクトを依頼した『不死鳥』のツアーがひとつのヒントになって歌が生まれたようだ。ところで、グループのメインのヴォーカリストとソングライターはマーク・ファーナーなのだが、この曲はドン・ブリューワーが担当したもの。似たような例としてはビートルズがロックの枠を越えて幅広い層から評価されるきっかけとなった「イエスタデイ」で、この曲が第1位に立った65年10月9日は、主に曲作りを手掛け、歌ったポール・マッカートニーではなく、ジョン・レノンの25歳の誕生日であった。
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