2016年09月30日
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2016年09月30日
ニュー・ミュージックの興隆期に頭角を現し、中島みゆき、長渕剛ら幾多のアーティストを支えた名アレンジャー、瀬尾一三。今日9月30日は瀬尾一三の誕生日。
音楽活動の最初は関西フォーク・シーンの活性期にあたる。金延幸子、中川イサト、松田幸一とともにグループ「愚」を結成、ロック的なバンド・サウンドにもトライするユニークなフォーク・グループで、URCから2枚のシングルを発表している(うち1枚は「秘密結社○○教団」名義)。
その後1970年にアルファ・レコードに所属し、同社の草創期に原盤ディレクターのアシスタントとして活動。当時全盛だった8トラ・カセットの制作などに携るうち、編曲の面白さに目覚め、アルファを退社して、アレンジャーとして独り立ちする。1972年のことである。このアルファ時代に、ストリングスやブラスのアレンジを独学で覚えたという(『編曲家』DU BOOKSより)。
当人の記憶によるとアルファ時代にチューリップの「私の小さな人生」を石川鷹彦と共同で手がけたのが最初のアレンジ作品。また初の単独プロデュース作品に斉藤哲夫がCBS・ソニー時代の74年に発表した『グッド・タイム・ミュージック』で、のちにムーンライダーズに加入する白井良明をサウンド・パートナーに迎えノスタルジックな音作りを試みている。
瀬尾の最初の大ヒット作は、荒井由実がバンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」。ユーミンの描くドラマチックなシチュエーションと映像的な描写力を最大限に活かしたスケールの大きなアレンジで、オリコン1位の大ヒットを記録する。この曲に特徴的だが、瀬尾のアレンジ自体に映像喚起力があり、アーティストの描くストーリーに寄り添ったサウンド・メイクを施す技量に長けているのだ。
70年代後半から日本の音楽シーンでは、頻繁に海外録音が行われるようになった。瀬尾一三のアレンジではロサンゼルス録音、というイメージが強いが、最初にLAレコーディングを行ったのは、風の4作目『海風』(77年)である。風の伊勢正三とはかぐや姫時代から交流があり、「22才の別れ」の最初の録音は瀬尾のアレンジでもあった。かぐや姫から風の初期はまだフォークであった伊勢が、西海岸AORサウンドに嵌りはじめ、アコギをエレキに持ち替えた時期が、『海風』の1作前、『windless blue』(76年)のこと。その中の1曲「ほおづえをつく女」のデモを瀬尾に聴かせたところ、「スティーリー・ダンの香りがする!」とスタジオで盛り上がり、巧みにセンス・アップして和製AORサウンドに仕立てたという。
このように、アコースティックな音で登場してきたアーティストが、サウンド指向あるいはロック寄りの音を次第に求めるようになった時、瀬尾のアレンジはその能力を最大限に発揮する。長渕剛もその1人で、瀬尾が初めて長渕作品のアレンジに関わったのは2作目のアルバム『逆流』(79年)からで、ここからのシングル・カットとなった「順子」が大ヒット。以降、瀬尾はメイン・アレンジャーとして活躍、82年の『時代は僕らに雨を降らしてる』や84年の『HOLD YOUR LAST CHANCE』などではLA録音を敢行、この頃から長渕は次第にロック的なサウンドに開花していった。
一方、デビュー・アルバムからLA録音を試みたのが杏里だ。全曲のアレンジを担当した『アプリコット・ジャム』、そのリード・トラックでもある杏里のデビュー曲「オリビアを聴きながら」は、尾崎亜美の繊細な女性心理に寄り添うように、楽器数の少ない静謐なアレンジを施している。新人のデビュー曲といえど殊更に派手な音作りにせず、楽曲の魅力を的確に伝える名アレンジといえよう。発売当時は大きなヒットにはならなかったが、長い年月をかけて浸透し、現在は杏里の代表曲のみならず、多くのシンガーにカヴァーされるスタンダードとなった。
同じくデビューから関わっているチャゲ&飛鳥にも数多くアレンジを担当、「万里の河」(80年)では中国をイメージした楽曲に、南米のフォルクローレ風アレンジで、大陸的なスケールの大きさを与えている。同様に、ふきのとうもデビュー曲「白い冬」から関わり、アコースティックな響きのフォーク・テイストにストリングスを加え、日本の風土や自然を音に置き換えることに成功、その代表作が「春雷」(79年)だろう。
その他かまやつひろし「我が良き友よ」、徳永英明「壊れかけのRadio」、近年ではももいろクローバーZ「泣いてもいいんだよ」に至るまで、日本のポップ・シーンを彩った数々の名曲をアレンジしてきた瀬尾だが、88年の『グッバイガール』以降は、中島みゆきの全アルバム、シングルでプロデュース&アレンジに携っている。90年代以降の中島のLA録音はもちろん瀬尾との仕事であり、89年から渋谷Bunkamura・シアター・コクーンで始まった中島の音楽劇『夜会』の音楽監督も10年連続でつとめ、現在は中島の片腕として、その実力を発揮している。
瀬尾一三は73年に、唯一のソロ・アルバム『獏』を発表している。赤い鳥の大川茂や山本俊彦、加藤和彦らサディスティック・ミカ・バンド勢が参加したアルバムで、彼のポップ・センスの源流を探るには格好の一枚だ。
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