2017年07月17日

46年前の本日、嵐の後楽園球場でグランド・ファンク・レイルロードの伝説となるライヴが行われた

執筆者:佐藤晃彦/JEFFSATO

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66年にビートルズが初来日して以来、モンキーズやカーペンターズ等のポップ系アーティストの来日はあったものの、私自身がロックを聴き始めた67~8年頃からのムーヴメントとなったハード・ロック系のアーティストの来日はなかなか実現はしなかった。しかし71年に入るとフリー、シカゴ等に続き、日本でも人気が急上昇し話題となっていたハード・ロック・バンド、グランド・ファンク・レイルロード(以下、GFR)が初来日。私自身は当時高一・15歳の夏、日本のGS・ロックのライヴは観に行っていたが、初の外タレが凄まじいバンド体験となった。


会場は東京ドームが88年に完成するまで巨人のホームグラウンドだったオープンエアの後楽園球場、同じ71年の1月にザ・タイガースが解散コンサートを行い話題となっていた。現代のスタジアム・コンサートと違い、当時はフィールド(アリーナ)に席はなくスタンドのみ。コンサートは日本が誇る女性ロック・シンガーの麻生レミ(ベースは後にフリー、フェイセズに加入する山内テツ)と、「霧の中の二人」という曲が大ヒットしたマッシュマッカーンがオープニング・アクトとして演奏した。しかしこの日の天候は梅雨明け直前の最悪の日。GFRの始まる前に雷が落ちるという激悪な状況、暴風雨によりステージ下に飾られたGFRの切り抜き文字の看板が吹き飛んでしまう程で、中止も考えられただろうがコンサートは強行された。予定時間もかなり遅れていたと思うが、その中で聴いたこともないような騒音でコンサートははじまった。大雨で観客はびしょびしょ、観客の絶叫と混じり暴走列車の爆音は、凄まじいパワーで圧倒した! オープニングの「Are You Ready」は混乱で何が何だかわからない程の混乱と熱狂ぶり、そして「Heartbreaker」の大合唱、アンコールの「Inside Looking Out」等、セットリストは当時のアルバム『GRAND FUNK LIVE ALBUM』からキーボード曲の「Mean Mistreater」をカットし新作『SURVIVAL』からの曲は演奏されなかったが、初外タレにしていきなり怒涛の凄まじさをいきなり体験させられたライヴであった。びしょびしょになった服とプログラムを持ち帰った記憶は今でも鮮明に記憶している。翌日の新聞には「若者狂乱」と掲載されたが、当時の大人たちにはどう捉えられたのだろう。


後日、コンサートは演奏されずテープで行われていたという噂が広がった。真偽の程は私は知らないが、ライヴ・アルバムとはアドリブ等の演奏は違っていたように思う。当時ライヴで感電死したミュージシャンもいたことを考えれば、本当だったとしてもいたしかたがないこと。しかしあの日、観に行ったファンには、そんな印象は全く受けなかったはず。その年、箱根アフロディーテのピンク・フロイド、そしてレッド・ツェッペリンが来日。71年は本当の意味での日本ハード・ロック元年、ディープ・パープル、BBA等、今から考えれば夢のような高校時代。ビートルズがサイケになってから70年代前半、新たなロックが次々誕生し一番勢いのあった時代、この時期を実体験できたことは自身の財産かもしれない。

写真提供:佐藤晃彦 / JEFF SATO

≪著者略歴≫

佐藤晃彦 / JEFF SATO(さとう・あきひこ):1955年10月13日生まれ、78~00年までワーナー・ミュージックとユニバーサル・ビクターで、主に洋楽・邦楽ディレクターとしてジャクソン・ブラウン、モトリー・クルー、ラウドネス、渡辺貞夫、松岡直也、憂歌団、喜多郎、hide/pata (X Japan)、Zeppet Store等を担当、独立後(有)ジェフズ・ミュージックを設立、音楽制作、インディーズ・音楽著作権管理、大学・専門学校講師、おやじバンド・イヴェント企画、音楽ライター、CDレコード・ショップ運営等を行う。

ライヴ・アルバム CD グランド・ファンク・レイルロード

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