2016年10月10日

泉谷しげる『黄金狂時代』こそ、70年代初頭の日本語のロックとして、もっと評価されるべきアルバムである

執筆者:小川真一

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泉谷しげるの通算5枚目のアルバム『黄金狂時代』は、74年10月10日にエレック・レコードより発売された。この当時の泉谷は、シングルとしてリリースされた「春夏秋冬」が話題となり、新進気鋭のシンガー・ソングライターとして注目を集めていた時代にあたる。


泉谷といえば、アコースティック・ギターを手に舞台にあがり悪態をつく。こんなオヤジ・キャラがすっかり定着してしまっているが、70年代の彼は、サウンド・メイクの面においても、ソングライティングにおいても果敢に攻めまくっていた。前作となる73年の『光と影』は、加藤和彦、高中正義、高橋幸宏といったサディスティック・ミカ・バンドの面々を従えてレコーディングされた。


この『黄金狂時代』はさらに凄く、ジョニー吉長が在籍していたイエローとラストショウ、この2つのバンドがアルバムのバックをつとめているのだ。このように、70年代を飾る伝説のバンドを同時にアルバムに起用したのは、泉谷をおいて他にいないはずだ。


イエローは、やはり伝説となっているバンド、M(エム)を母体として結成された。このエムに在籍していた垂水孝道と垂水良道を中心として、ジョー山中らとカニバルスを組んでいたジョニー吉長(録音時の名義は吉長信樹)、その後は金子マリ&バックスバニー、カルメン・マキ&OZと日本の名門ロック・バンドを渡り歩く川崎雅文(川崎真弘)らによって作られた実力派バンドだ。75年にシングル「国旗はためく下に」でデビューし、同年デビュー・アルバムの『イエロー』を発表した。


ラストショウもまた、素晴らしい面々が集まったグループであった。山本コータローと少年探偵団にいた徳武弘文、中川イサトと律とイサトを組んでいた村上律、瀬尾一三、金延幸子らとのグループ愚を経て、村上らとアーリータイムスストリングスバンドを結成していた松田幸一、それに島村英二、河合徹三が加わったバンドで、カントリー・ロック寄りのキャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)といった存在であった。


この2つのバンドが泉谷しげるのアルバムで終結したのは、非常に興味深い。起用した泉谷の慧眼にも、大きな拍手を送りたい。これだけの強靱なバックアップを得て、泉谷しげるも燃え上がらないわけがない。冴え渡ってたソングライティングを聴かせてくれる。


初期の代表曲のひとつとなった「眠れない夜」の研ぎ澄まされたロックン・ロール、「火の鳥」での疾走感に溢れた歌声など、フォークの範疇を楽々と越えている。「溶岩道路 Rag」はラストショウが書き下ろしたインストゥルメンタル・チューン。泉谷が登場してくるのは冒頭のかけ声だけ。こんな曲もバッキング・スタッフへの信頼があったからこそ生まれたものだと思う。


村上律のペダル・スティールをフィーチャーした「遥かなる人」での長閑なカントリー・ロック・フィール、熱いファンクネスを帯びた「明日のヒマ人」、まさにフォーク・ロックと呼びたくなる「Dのロック」など、充実した曲が詰めこまれている。この泉谷しげるの『黄金狂時代』こそ、70年代初頭の日本語のロックとして、もっと評価されるべきアルバムだと思う。

黄金狂時代 泉谷しげる

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