2018年01月09日
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2018年01月09日
エレック・レコードは独特のレーベル・カラーを持っていた。同時代のフォーク系レーベルと比べても、質実剛健のURCレコード、都会的な明るさをもったベルウッド・レコード、この両者とも違った、ある種の柔らかさのようなものを持っていたのだ。その柔らかさは、心優しき若者といったイメージにも繋がる。そして、その代表格がケメこと佐藤公彦であったのだ。
佐藤公彦は、フォーク・グループのピピ&コットの一員としてデビューした。メンバーは、佐藤とギターの金谷厚を中心に、吉田佳子(後のよしだよしこ)、早川隆、沢彰記、板垣秀雄(後に山本コウタローとウイークエンドのメンバーに)、そして丸山圭子が在籍していた。よしだよしこと丸山圭子という女性シンガー・ソングライターを輩出するなど名門グループだといえる。
ピピ&コットはエレック・レコードに、3枚のシングル盤と、アルバム『4人はハーモニー』を残しているが、佐藤公彦はアルバム発表後の72年にグループを脱退し、ソロ活動を始める。そして72年の5月に「通りゃんせ」でシングル・デビューを果たす。長髪に繊細な顔立ちと、その中性的な容姿からケメという愛称で親しまれるようになったのもこの頃からだ。「雨宿り」「バイオリンのおけいこ」などを発表し、絶大な人気を得ていくこととなる。
同時期に始まったのが、あおい輝彦とコンビを組んだラジオ番組「あおい君と佐藤クン」だ。週帯の深夜番組で、二人のさりげない会話が人気を呼び、約8年間も続くロングランなプログラムとなった。
ケメの人気は、アイドルといってもいいほどであった。若い女性のファンが多いことはいいことなのだが、音楽活動を進めるうちに、それが足枷のようにもなっていく。
75年にフィリップス・レコードに移籍。『ほうき星』『午後5時の風』などの充実したアルバムを発表し、さらに自身の世界を展開していく。また、ソングライターとしての評価も高まり、浅田美代子や丸山圭子にも楽曲提供するようになる。
80年代に入ると新たなグループ、アパルマァを結成し、活動の中心をライヴハウスに移す。その後、活動を休止していた時期もあるが、2009年に20年ぶりのオリジナル・アルバム『ひとりからふたりへ』を発表し復活。ピピ&コット時代からの旧友である金谷あつし(厚)と組んでピピ&チョコット名義でミニ・アルバム『捨てては いないよ 大切なものを』を発表したりもした。
その後も自主制作ではあるがコンスタントに音源をリリース。定期的にライヴをおこなうようになる。がしかし、2014年頃から再び活動を休止し、残念なことに2017年6月24日に心筋梗塞でこの世を去った。彼の肉体はなくなってしまったのだが、あの清らかな歌声は永遠に続いていくのだと思う。そのケメこと佐藤公彦が生まれたのが、1952年1月9日であるのだ。
「4人はハーモニー」「バイオリンのおけいこ」 ©エレックレコード
≪著者略歴≫
小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり 。
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