2016年11月05日

[recommend]荒木一郎の全貌を摑む――『まわり舞台の上で 荒木一郎』

執筆者:久山めぐみ

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歌手、俳優、作曲家、小説家、プロデューサー、マジシャンなど、多彩な顔を持つ荒木一郎。『まわり舞台の上で 荒木一郎』(荒木一郎著)は、その多岐に渡る軌跡を辿る、600ページに迫る大部の書物である。


ご存知のとおり、荒木一郎のトレードマークはサングラス。テレビ局にもサングラス着用で出入りする札付きの不良、そしてその佇まいは現在でも変わらないということを、2016年10月3日に開かれた歌手デビュー50周年コンサートの観客たちはしかと目撃した。満場の興奮はすでに語り草となり、『週刊朝日』(10月28日号)では嵐山光三郎がその余韻を伝えている。


『まわり舞台の上で 荒木一郎』は、荒木自身の楽曲や出演作はもとより、荒木が様々な形で関わった膨大な作品に即したインタビューから、荒木の創作人生を一冊に取りまとめたものだ。荒木一郎の全貌を、昭和のエンターテインメント史に刻む本になったのではないか、と思う。


荒木一郎は、1944年生まれ。母は文学座の荒木道子であり、幼少期よりラジオドラマ、舞台で役者として活動していた。1960年頃、NHK初の本格的な連続ドラマ『バス通り裏』に町のクリーニング屋として出演したのをきっかけに、お茶の間に知られる新進俳優となる。


その頃、荒木は17歳、青学の高等部に通っていた。一方、渋谷・百軒店のジャズ喫茶に出入りし、モダン・ジャズのクインテットでドラムを演奏していた。1966年、ラジオ番組『星に唄おう』が人気を博し、テーマ曲である「空に星があるように」で歌手デビューする。


荒木はこのときも「歌手になるんだ」という感覚はほとんどなかったと言うが、大ヒットし、レコード大賞新人賞を受賞。その後、スキャンダルの影響でレコードリリースの中断を余儀なくされるが、1970年代には東映でプロデューサー・天尾完次、中島貞夫と鈴木則文の両監督のラインを主軸に、俳優、音楽監督などで東映の魅力的な娯楽映画の立役者となった。


日活ロマンポルノ『白い指の戯れ』(村川透監督、1972年)の主演、さらには池玲子や杉本美樹、芹明香ら、自身のプロダクションでのマネージメントに関するエピソードも見逃せない。そして、1977年頃からは桃井かおりのプロデューサーとして、彼女の魅力を最大限に引き出すことに成功した。


荒木のディスコグラフィ、フィルモグラフィには、「まったく同一人物とは思えない」と思ってしまうような正反対のイメージが共存している。例えば、『白い指の戯れ』で演じたクールな色男と、『ポルノの女王 にっぽん SEX旅行』(中島貞夫監督、1973年)の爆弾オタクしかり。そこには「役作り」の範疇を超えた、荒木固有の七変化ぶりとでも言いうる凄さを感じてしまう。


万華鏡のように色鮮やかで、全貌を摑みがたい荒木一郎の全仕事――『まわり舞台の上で 荒木一郎』が、それぞれの時代の荒木の仕事に補助線を引き、荒木一郎の縦横無尽な全体像を摑む手助けとなることを願う。

まわり舞台の上で 荒木一郎  荒木一郎

「星に唄おう」 空に星があるように (番組テーマ) 荒木一郎

白い指の戯れ [DVD] [アダルト]荒木一郎 (出演), 伊佐山ひろ子 (出演), 村川透 (監督)

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