2017年01月10日
スポンサーリンク
2017年01月10日
本日1月10日はあおい輝彦の誕生日。今や最強少年アイドル帝国として芸能界に君臨するジャニーズ事務所の第一号タレントであり、会社名の由来でもある4人組グループ「ジャニーズ」の最年少メンバーだった彼も69歳を迎えた。沢田研二、井上陽水、都はるみ、あがた森魚、財津和夫、いしだあゆみ、由紀さおり、鮎川誠、大滝詠一(御存命ならば…)等と同年代である。現在のジャニーズ所属タレントたちのファンは、彼が元祖ジャニーズ・アイドルだったことはもちろん、国民的ドラマ『水戸黄門』の「助さん」役を10年以上も務めたことすら知らない世代がほとんどだろうが、大晦日恒例ジャニーズ・カウントダウン・ライヴの大トリに特別ゲストとして登場したって何の不思議もないほどで、まさに今日のジャニーズ帝国の礎を築いた一人なのだ。
あおい輝彦(青井輝彦)は、1948年1月10日東京生まれ。幼少期から子供モデルとして少年雑誌の表紙などを飾っていたが、米国大使館軍事顧問団で通訳をしていた喜多川擴(ジャニー喜多川)が近所に住む少年たちを集めて作った草野球チームのメンバーだったことから、1962年、チーム・メイトの真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良と共に、ヴォーカル&ダンシング・グループ「ジャニーズ」の結成に参加する。当時あおいは弱冠14歳の中学生だった。
“歌って踊れる少年たち”という、それまでの日本の芸能界には無かったコンセプトと、米国的なエンターテインメント性を打ち出したジャニーズは、テレビが家庭の娯楽の主役となった時代の新アイドルとして脚光を浴びる。64年に「若い涙」でレコード・デビュー後は、自分たちのバラエティ番組を持ち、念願の舞台(ミュージカル)出演も果たすなど大活躍。中でも最年少で甘いルックスと歌唱力を兼ね備えたあおいの人気は抜群だった。66年8月に本場のミュージカルとダンスの勉強のために渡米した彼らは、全米デビューを見据えたアルバムを現地でレコーディングするが、67年1月に帰国してみると、彼らの留守中に台頭してきたGS勢にトップ・アイドルの座を奪われ人気は低迷。前述のアルバムも発売が見送られ、同年11月、失意のうちにジャニーズは解散してしまうのである。
解散後、劇団四季の研究生として芝居の勉強を積んだあおいは、TBSの人気TVドラマ・シリーズ『木下恵介アワー』の第3作『おやじ太鼓』(68年放映)で俳優デビューを飾り、以後、シリーズ8作目にあたる『二人の世界』(70~71年放映)まで『木下恵介アワー』にレギュラー出演。『おやじ太鼓』、『3人家族』(68~69年放映)、『二人の世界』では主題歌も手がけており、特に「二人の世界」はオリコン第3位にランクされるソロとしての初ヒットとなった。また、同時期には人気アニメ『あしたのジョー』(フジテレビ系)の主人公・矢吹丈の吹き替えでも話題を呼んだ。
その後もTVや映画で活躍を続けるが、俳優・あおい輝彦の当たり役といえば、何と言っても『水戸黄門』(TBS系)の「助さん」だろう。“西村晃・黄門”時代後期(88~92年)と“佐野浅夫・黄門”時代全般(93~2002年)という長期に亘って出演した彼は、歴代助さん格さん役によって歌われてきた主題歌「あゝ人生に涙あり」を伊吹吾郎と共に歌っているが、シリーズ最長の期間にオンエアされていただけに、これが最も幅広い世代に親しまれているヴァージョンであることは間違いない。
俳優活動と並行して音楽活動にも精力的で、70年代はRCA~エレック~テイチクと、レコード会社を移りながらコンスタントに作品をリリース。エレック(愛レーベル)時代の『免許証』(73年)、『ニコラシカ』(74年)という2作のアルバムは、全曲彼が作詞・作曲を手がけたオリジナル作品でまとめられており、俳優の余技なんてレベルを遥かに超えたソングライターとしての才能を発揮していた。その後のテイチク時代は、あおいにとって初のオリコンNo.1ヒットとなった「あなただけを」(76年)、「Hi-Hi-Hi (ハイ・ハイ・ハイ)」(77年/オリコン7位)とヒットを連発。結成間も無いゴダイゴを全面的に起用したアルバム『スタートへの出発』(76年)もリリースしている。このテイチク時代が彼のソロ・シンガーとしてのキャリアの中で最も輝かしい時代だったと言えるだろう。
80年代にポニーキャニオン移籍後、アルバム1枚とシングル5枚をリリースしてからは、TVドラマ『水戸黄門』(助さん役)の撮影のため京都滞在が増えたこともあって、レコーディング活動からは遠ざかっていたが、2004年に17年ぶりの新曲「倖せ来るり」をリリースしている。また、2001年には実娘・青井英里奈が4人組ヒップホップ・グループ「エリナ&アフロブロス」を結成し、タイでレコード・デビュー。同国のチャートで見事1位に輝いている。果たして、シンガー・ソングライターの父とヒップホップ・シンガーの娘との夢のコラボは、いつの日か実現なるか?
≪著者略歴≫
中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
作詞家としてはそのぶっ飛んだ発想で80年代以降の音楽シーンを席巻し、アイドル・ポップスからロック、Jポップ、アニソンまで幅広い作風で現在まで活躍する森雪之丞。本日1月14日は森雪之丞の誕生日。1...
佐藤公彦は、フォーク・グループのピピ&コットの一員としてデビュー。72年にグループを脱退、ソロとなり5月に「通りゃんせ」でシングル・デビューを果たす。長髪に繊細な顔立ちと、その中性的な容姿からケ...
今日10月23日はジャニーズ事務所の総帥ジャニー喜多川(本名・喜多川擴)氏の84歳の誕生日。今や日本最強の少年アイドル生産システムを誇る<ジャニーズ帝国>の歴史は、『ウエスト・サイド物語』に触発...
今や特定芸能事務所とその所属タレントの集合体を指す名称としてだけでなく、若いイケメン野郎全般を意味する用語(この場合は語尾に“系”を付ける)としても広く認知されている「ジャニーズ」の語源的存在で...