2015年10月23日

初代ジャニーズ無くしてはSMAPも嵐もキスマイも無かった!…<歌って踊れる美少年>DNAを継承しながら発展を続ける強大な<ジャニーズ帝国>誕生秘話

執筆者:中村俊夫

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今日10月23日はジャニーズ事務所の総帥ジャニー喜多川(本名・喜多川擴)氏の84歳の誕生日。米国ロスアンゼルスで生まれ育ち、戦後に帰国後は米国大使館軍事顧問団で通訳として働いていたが、やがてショービジネスの世界に転身。今や日本最強の少年アイドル生産システムを以って芸能界を征する<ジャニーズ帝国>を築き上げ、「世界最多のコンサートとNo.1シングルをプロデュースした人物」としてギネスブックにも認定されている(2011年)彼の輝ける軌跡…それは現在も特定芸能事務所の名称だけにとどまらず、イケメン全般を意味する一般用語(この場合は語尾に<系>を付帯して用いられる)として世間に認知されている「ジャニーズ」の名を冠した4人組グループの結成から始まる。

1961年頃、子供の頃から野球好きだった(父親は一時期プロ球団「金星スターズ」のマネージャーだった)喜多川は、住居としていた東京・代々木の米軍宿舎「ワシントンハイツ」(現在の代々木公園)の近所に住む少年たちを集めて、自分のニックネーム「Johnny」を冠した野球チーム「ジャニーズ」を結成。ある日、チームメンバーの少年たち4人と観に行った日本公開されたばかりの映画『ウエスト・サイド物語』に感銘を受け、今まで日本の芸能界には無かった<歌って踊れる美少年>グループの結成を思いつく。こうして62年4月に誕生したのが<初代>ジャニーズで、メンバーは喜多川と一緒に『ウエスト・サイド物語』を観に行った少年たち…真家ひろみ(当時15歳)、飯野おさみ(15歳)、中谷良(14歳)、あおい輝彦(14歳)の4人だった。


62年6月にジャニーズ事務所を創設した喜多川は、日の出の勢いの渡辺プロダクションと提携関係を持ち4人を売り出していく。8月にNHK『夢で逢いましょう』で田辺靖雄のバックコーラスとしてTVデビュー後、同番組にレギュラー出演。64年12月にリリースされたデビュー曲「若い涙」も、「上を向いて歩こう」(坂本九)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)等の大ヒットを生んだ実績を持つ『夢で逢いましょう』の「今月のうた」コーナーで誕生した番組タイアップ作品(作詞・永六輔、作曲・中村八大)だった。<歌って踊る>ジャニーズの魅力を最大限にアピールするメディア=テレビの力を重視し、まずはテレビ露出で一般的知名度を十分に高めた後に、満を持してのレコード・デビュー…。現在も変わらないジャニーズ事務所の<お家芸>とも言えるテレビ戦略は初代ジャニーズから始まっていたのである。


65年10月からは日本テレビでジャニーズがホストを務める音楽バラエティ番組『ジャニーズ・ナインショー』(翌66年4月からは放送日を移動し『ジャニーズ・セブンショー』にリニューアル)がスタート。『ウエスト・サイド物語』に触発されて生まれたグループならではのミュージカル風のパフォーマンスを毎週披露する彼らは、持ち前の若さとスマートさを武器に、当時全盛を誇る橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦の<御三家>を凌駕するほどの人気アイドルに成長していった。現在残された唯一のライヴ・アルバム『ジャニーズとアメリカ旅行』(66年)を聴いてみると、いかに彼らが日本人離れしたクールで都会的な独自のスタイルを確立していたのかがよく判る。ジャズ・オーケストラをバックに展開される彼らの洗練されたステージングはアメリカン・エンターテインメント・スタイルそのもので、それは取りも直さず米国で生まれ育ったジャニー喜多川の嗜好・センスを体現したものと言えるだろう。


66年8月28日、ミュージカルの本場でダンスレッスンするために渡米したジャニーズは、ワーナー・ブラザースとレコーディング契約を交わし、名プロデューサー、マイク・カーブ総指揮の下、作家陣からスタジオ・ミュージシャン(レッキング・クルー系)まで、当時の米国ポップス・シーンの粋を集めたと言っても過言ではない体制でのアルバム制作を現地で開始する。全米発売が前提のため全曲英語詞のままでレコーディングされたこのアルバムは同年11月に発売の予定だったが諸事情で延期となり、残念ながら現在まで未発表のままである。


収録曲の中でシングル・カット曲(プロモーション・フィルムまで制作されたという)だった「Never My Love」は、翌67年にアソシエイションがレコーディングして大ヒット(キャッシュボックス1位、ビルボード2位)。もしこれがオリジナルのジャニーズ盤だったら、その後の日本のポピュラー音楽シーンの流れを変える大きなエポックとなったであろうことは想像に難くない。 ナイアガラ系もティン・パン系もピチカート・ファイヴも、みーんなルーツはジャニーズ…なんて評価も定着していたかもしれないのだ。ちなみに「Never my Love」は、フォーリーブスがアルバム『スーパー・プレゼント』(72年)の中でカヴァーした他、2013年には新人A.B.C-Zもカヴァー。初代のリベンジを後輩たちが果たしたということか。

 

67年1月5日に帰国したジャニーズを待っていたのは、日本を留守中にファンの大半が、かつて自分たちのバックや前座を務めていたブルー・コメッツ、スパイダースなどに流れて行ってしまったという冷酷な現実だった。すでに時代の主流は「グループ・サウンズ」と呼ばれるようになるバンド勢力に移行し、ジャニーズは過去の人となってしまったのである。同年4月にリリースしたTBSの同名ドラマ主題歌「太陽のあいつ」が話題になったものの、GSブームの中で人気の低迷に歯止めが利かず、ついに11月20日、弟グループのフォーリーブスに道を譲るかたちで渋谷公会堂でのコンサートを最後にジャニーズは解散する。しかし、<歌って踊れる美少年>というコンセプトと戦略は遺伝子の如く代々継承され、今日のジャニーズ帝国の興隆に至るのである。

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