2017年01月11日
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2017年01月11日
昭和の時代を過ごした日本人なら誰もが知っている黄桜「かっぱの唄」をはじめ数多のCMソングを歌い、元祖“コマソン(=コマーシャルソング)の女王”の称号を得た楠トシエ。世代によって、『お笑い三人組』のおたまちゃん、『ひょっこりひょうたん島』のサンデー先生、『おはよう!こどもショー』のビンちゃんなど印象は異なれど、昭和のテレビ・ラジオ界で大活躍した人気者であることに変わりはない。黒柳徹子らと並ぶ最初期からのテレビ女優のひとりとして、タレント、歌手、声優などなんでもこなした才女・楠トシエの誕生日は1月11日。1928(昭和3)年生まれの彼女は89歳になる。
東京・神田生まれのチャキチャキの江戸っ子と聞けば、歯切れの良い歌いっぷり、サラリとした気風の良さも合点がいく。新宿ムーランルージュの歌手として芸能界入りし、解散後は作詞家・作曲家でありプロデューサーでもあった三木鶏郎のラジオ『日曜娯楽版』に出演して全国区の人気を得ることとなった。氏が繰り広げた冗談音楽の中で、「毒消しゃいらんかね」「田舎のバス」といった楽曲を宮城まり子や中村メイコらと競い合い、榎本健一や森繁久彌ら喜劇俳優の大物と共に「僕は特急の機関士で」「ピンポンパン」などのユニークな作品を歌う一方で、三木鶏郎が開拓したコマーシャルソングの歌い手として頭角を現す。「ジンジン仁丹」や「かんかんカネボウ」など韻を踏むのが特徴だった三木のコマソンが最もハマったのが彼女であった。船橋ヘルスセンターの歌「長生きチョンパ」も忘れられない一曲である。
58年に歌ったケロリンのCMソング「青空晴れた空」はサトウハチローの作詞、服部良一の作曲によるコマソンの枠を飛び越えた良歌で、レコードも発売されてヒットしている。2005年に大ヒットした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』でもフィーチャーされていた。一時はテレビやラジオから彼女の声が流れない日はなかったと言っても過言ではない。NHKの専属タレント第1号だけあって、同局の人気番組『お笑い三人組』は代表作のひとつ。新東宝で映画化もされた。61年にスタートした『みんなのうた』では、初回の放送から楠が歌った「誰も知らない」が紹介されている。声の出演ではやはりテレビ史に残る人形劇『チロリン村とくるみの木』、その後番組となった『ひょっこりひょうたん島』に続けて出演し、しっかり者で優しいサンデー先生役は殊に有名。挿入歌もたくさん歌っている。
以降は子供向け番組の仕事も増え、65年スタートの日本テレビ『おはよう!こどもショー』では“キューピーちゃん”こと石川進と共に進行役を務めた。ニックネームの“ビンちゃん”は当時の子供たちの間でも浸透してゆく。その時一緒に出ていた“ろばくん”は、愛川欽也が自ら着ぐるみを被って声と共に演じていた。今でも、楠が歌った「おはよう!こどもショー」や「おーい体操だよ」に思わず反応してしまう大きな子供は少なくないだろう。68年のメキシコ五輪の際に歌われた「オリンピック・ア・ゴーゴー」も知られざる傑作。なんとバックをGSの4・9・1(フォー・ナイン・エース)が務めているのだ。ギンギンに響き渡るボーカルで、勢い溢れる彼らの演奏に負けていないのが凄い。2007年に編まれたCD『元祖コマソンの女王 楠トシエ大全』で聴けるのでぜひお確かめいただきたい。そして最後にもうひとつ、名画『猿の惑星』(68年)でキム・ハンターが演じたジーラ役の吹き替えも絶品なのである。外国映画の声優としてはドリス・デイの一連のコメディ作品はもちろん、新しいところでは『トイ・ストーリー2』(99年)のミセス・ポテトヘッド役も演じた。元祖コマソンの女王であり、我が国最高のコメディエンヌに心をこめて花束を。
≪著作者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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