2017年05月15日

50年前の本日、佐良直美の代表曲「世界は二人のために」がリリース

執筆者:鈴木啓之

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昭和の一時期、結婚式の披露宴における祝歌として定番だった「世界は二人のために」は、実力派シンガーとして名高い佐良直美の記念すべきデビュー曲。当初はチョコレートのCMソングとして作られたフレーズが拡大され、フル・ヴァージョンとなってレコード発売に至ったもの。結婚式シーズンに乗ったこともあり、遂にはミリオンセラーを記録する大ヒットとなった。佐良にとって、レコード大賞を受賞した「いいじゃないの幸せならば」と並ぶ代表作であると共に、作曲家・いずみたくが手がけた数ある作品の中でも最も知られたナンバーのひとつに挙げられる。そんな永遠のスタンダード・ソング「世界は二人のために」のシングルがビクターからリリースされたのは1967年5月15日のこと。発売からちょうど50年を迎えた。


レコード・デビューする以前、高校生の頃から米軍キャンプで歌っていた佐良直美は、大学生の時に水島早苗に師事する様になり、ジャズを学んだ。ある日労音から声がかかり、初めての大きなステージに立つ機会があった。その際に共演したジミー時田の紹介で出演することになった文化放送の『フーテナニー’66』という番組でホストを務めていたのが、作曲家のいずみたく。もうひとりの師との出会いである。同じ頃、銀座のニッコーミュージックサロンで歌っていた彼女に白羽の矢を立てたのがビクターの小澤栄三ディレクターで、いずみたくを介してレコード・デビューの話が進んでゆく。そこでいずみは自らが作曲して気に入っていた、明治製菓alfaチョコレートのCMソングのフレーズをフルサイズの曲としてヴァージョンアップすべく、作詞の山上路夫に依頼する。その結果新たに出来上がった作品が佐良のデビュー曲として改めて世に出された「世界は二人のために」であった。


原型となったCMヴァージョンは、男声コーラスによる歌唱で、歌詞の“あなた”の部分が“君”だったのが大きな違い。後半はスキャットで処理されていたのでだいぶ印象が異なる。ちなみにCMに出演していたのは石坂浩二と小川知子だった。佐良直美は最初に曲を貰った時、(こんな単調で童謡みたいな曲は絶対売れない)と思ったそうだが、これが歌ってみると意外とむずかしく、練りに練った詞とメロディで構築された素晴らしい曲であることを次第に認識していったのだという。5月の発売から一ヶ月ほどしてジューンブライドの季節を迎えると、幸福感に満ちた稀代のラブソングは結婚披露宴の際の入場曲に使われたり、実際に歌われたりする需要が高まり、ヒットチャートを駆け上っていった。それからロングセラーとなり、12月16日に開かれた第9回日本レコード大賞では同じビクターの永井秀和と共に新人賞を受賞し、大晦日の第18回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。ハードスケジュールをこなす中で年末にはとうとう倒れてしまうほどだったというから、超多忙だった様子が窺える。紅白には以降13回連続出場して、司会も5回務めることとなる。


年末の活躍ぶりも反映されてか、オリコンが初めて公式にシングル週間チャートを発表した1968年1月4日付のランキングでは、発売から半年以上経過していたにもかかわらず、2位に登場している。同年春の第40回選抜高等学校野球大会では入場行進曲にも選ばれている。1967年から1968年にかけて、年を跨いでの大ヒットは結果的にミリオンセラーへと達したのであった。あまり知られていないが、佐良盤が発売された翌月にコロムビアからはザ・シャデラックスが歌った競作盤があったことも記しておきたい。その後も多くの歌手がカヴァーしている不滅のスタンダード・ソング、さすがに最近では結婚式で使われる機会もあまり無いだろうが、今こそ「世界は二人のために」を披露宴で流したり歌ったりするのは最高に洒落ているのではないかと思う。近々ご予定のある方、ぜひとも御一考あれ。


≪著者略歴≫

鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。

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