2016年01月03日

『NHK紅白歌合戦』第1回の放送は65年前の本日、ラジオで中継されたものだった

執筆者:鈴木啓之

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『NHK紅白歌合戦』といえば、大晦日に放映される一年の締め括りのテレビ番組として国民の間で広く浸透しているが、初期は正月番組だったのをご存知であろうか。第3回までは新年が明けてからの放送で、第1回の放送は今から65年前の1951年(昭和26年)1月3日。まだテレビ放送が始まる以前の、ラジオによる中継であった。


そもそも番組の発端は、終戦の年、1945年に戦争で傷ついた国民の心を音楽で癒そうと企画され、その年の大晦日に放送されたラジオ番組『紅白音楽試合』まで遡る。紅組の司会を水の江瀧子、白組を古川ロッパが担当したこの番組こそ、後の紅白歌合戦のルーツであり、つい最近、番組誕生の経緯が『紅白が生まれた日』としてドラマされたのは記憶に新しい。当初は『紅白音楽合戦』のタイトルが予定されていたが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導により、“合戦”が“試合”に改められたのだという。それから6年後(実質的にはほぼ5年後)、タイトルを改めて、『紅白歌合戦』の歴史が正式にスタートした。


反響の大きさから翌年、翌々年も放送され、1953年の第4回からはいよいよ大晦日の放送に。つまりこの年だけは、正月と大晦日の年2回放送されたことになる。さらには、並行してテレビ放映がスタートしたのも第4回からとなった。ここで初登場した白組司会者の高橋圭三は、以後9回連続で司会を務めている。ちなみに黒柳徹子は、1958年の第9回で初の紅組司会者を務めた。白組の司会者は、80年代前半までは白組は19・20回の坂本九を除いてすべて当時のNHK男性アナウンサーであったが、紅組に関しては、中村メイコをはじめ、森光子、江利チエミ、水前寺清子、佐良直美といった、女優や歌手の賑やかな顔ぶれが番組を彩っていた。最近では、ここ10年程は若手女優の司会が定着している。


出場歌手では、各組のトップパッターはだいたいが初出場のフレッシュな面々、そしてトリや大トリは押しも押されぬベテランというのが不文律。紅白歌合戦に出場することが一流歌手のステイタスという価値は昔よりは薄れてきたものの、やはりまだそれなりの権威は保っているといえるだろう。最近の初出場歌手のコメントに「親が喜んでいます」という類いが多いことからも、時代の流れは顕著ではあるけれども。今のような2部制になる以前、21時から放映されていた頃は、やはり生放送のTBS『日本レコード大賞』にも出演していた歌手が、超短時間で会場を移動(主に日比谷の帝国劇場から渋谷のNHKホール)する攻防戦が名物であった。一時は警察も協力して先導にあたり、信号機までも操作されたらしい。それでもレコ大のグランプリ受賞歌手は、紅白の入場行進に遅刻してしまうのが常で、視聴者はそうしたハプニングを含めて番組を楽しんでいた。茶の間で家族が揃ってそれほど大きくない一台のテレビを囲んでいたよき時代だった。


昔よりはだいぶ落ち着いたとはいえ、紅白は今でも話題のタネになるし、高視聴率を稼ぐ番組だが、最盛期には本当に断トツで、裏番組は絶対に太刀打ち出来ない時代が長く続いた。殊に1963年の第14回大会では、81.4%というとてつもない視聴率を記録した。北島三郎や舟木一夫が初出場を果たし、春日八郎や三橋美智也のベテラン勢から、ひばり・チエミ・いづみの三人娘に、ザ・ピーナッツ、植木等ら煌星の如きスターが名を連ねた華やかなステージは、東京オリンピックを翌年に控え、日本の高度経済成長が頂点に達した年ともいえよう。

ちなみに初出場組のひとり、梓みちよは、この年「こんにちは赤ちゃん」でレコ大も受賞している。当時生まれた赤ちゃんが50歳を超えていることを考えると、紅白が今も変わらず大晦日に放映され、なんだかんだ言われながらも高視聴率を獲得しているのは驚異的。


これからの4K時代もずっと続いていて欲しい。ただ、願わくば出場枠を絞り、21時からのシンプルな編成に戻してはくれまいか、などと昭和を過ごした歌謡曲ファンとしては思うのである。 

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