2018年12月31日
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2018年12月31日
その年の日本の音楽シーンを振り返る年末の風物詩、日本レコード大賞もこの2018年で回を重ねること60回。授賞式をTBSが生中継するスタイルもすっかりおなじみであるが、現在は12月30日に開催されている同賞は、1969年から2005年までの36年間は12月31日の大晦日に行われていたことをご記憶の方も多いだろう。今回は「大晦日生中継」スタイルが始まった1969年の第11回レコード大賞を振り返ってみたい。
日本レコード大賞がスタートしたのは1959年。当初は授賞式も小規模な会場で行われており、第1回の発表会は12月27日の午後3時スタート。第2回は12月28日に開催されたが、第10回までは日にちも固定されておらず、会場も神田共立講堂、日比谷公会堂、渋谷公会堂などが使用されていた。その後、おなじみとなる「大晦日に帝国劇場での開催」が始まるのが、この第11回からなのだ。そして、70年代の「レコ大の顔」として欠かせない司会者・高橋圭三の初登板もこの回である。
第11回レコード大賞にこれだけの条件が揃ったのは、ひとえに歌謡界が大きく世間の注目を集めるようになったからに他ならない。60年代前半まで日本の娯楽の王様は映画で、芸能界の中心は映画スターであったが、60年代半ばから映画は斜陽産業となり、娯楽の主役はテレビへと移行していった。そのテレビ番組の中でも歌番組は誰もが気軽に楽しめるコンテンツとして愛され、歌謡曲はテレビで歌手が歌うことによって世に広まっていったのである。当時のバラエティ番組の多くが歌のコーナーを用意していたのも、歌謡曲とテレビの蜜月関係を示す出来事であった。芸能誌の表紙を飾るスターたちも映画俳優から歌手へと変化し始めていた時期である。
その歌謡界もまた大変革の只中にあった。前年まで音楽シーンを席巻し続けたグループ・サウンズのブームが一気に終息し、時代はフォークとブルース演歌が台頭、さらに女性ポップスが大きく注目されていた。第11回のレコード大賞の各受賞曲も、その空気を反映した結果となっている。
大賞を争ったのは、本命と言われていた森進一の「港町ブルース」と、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」で、佐良に軍配が上がったが、大ヒット曲を選出するより音楽シーンのその後を左右するような、新しい時代の空気を感じさせる楽曲を選ぶ、レコ大審査員の方向性が明確に出た結果にも思える。「いいじゃないの幸せならば」は作詞:岩谷時子、作曲:いずみたくのコンビによる楽曲で、退廃的で薄暗く醒めたムードをもつこのナンバーが大賞受賞というのも、学生運動が加熱していた69年らしい結果といえるだろう。大賞を逃した森進一は最優秀歌唱賞に輝いたが、ほかにも歌唱賞に青江三奈「池袋の夜」、新人賞に内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」が選ばれているが、舞台はいずれも都市のネオン街、そこに渦巻く男女の情念が歌われている。この傾向は、演歌の新しい潮流を感じさせるもので、同年9月にデビューした藤圭子「新宿の女」も同じ流れにある。
68年頃から大きな潮流となったフォーク・ブームも見逃せない。カレッジ・フォークの人気と、ザ・フォーク・クルセダーズの登場、高石ともや、中川五郎、五つの赤い風船や岡林信康などアングラ系の関西フォークが台頭するにいたり、歌謡曲もフォークの勢いを無視できなくなっていた。この年の受賞曲をみても加藤登紀子「ひとり寝の子守唄」(歌唱賞)、はしだのりひことシューベルツ「風」、千賀かほる「真夜中のギター」(ともに新人賞)アン真理子「悲しみは駆け足でやってくる」(寺岡真三に編曲賞)など、フォークあるいはフォーク歌謡の楽曲が数多く選ばれている。何より企画賞を受けた東芝音楽工業(当時)が、受賞理由として「フォークソング・ブームの契機を作り、新音楽人口を開拓した功績」であったのだから。その一方で和製ジョーン・バエズと呼ばれたフォークの歌姫・森山良子が、エスニックなメロディーの「禁じられた恋」で初めて歌謡曲を歌い、大衆賞を受賞しているのが印象深い。また「アングラ」の空気といえば、最優秀新人賞を受賞したピーター「夜と朝のあいだに」もまたその香りを感じさせる1曲だ。受賞こそしていないがこの年デビューのカルメン・マキ「時には母のない子のように」も同じ流れである。
ここまででおわかりの通り、69年は女性歌手全盛時代である。グループ・サウンズのムーブメントで日本の歌謡曲は「ビート」の感覚を手に入れたのだが、その象徴的存在でもある黛ジュンは前年のレコ大受賞者。GSは飽和状態に陥り凋落していったが、69年段階ではGSと同じようにビートを自分のものとした女性ポップス・シンガーたちは元気いっぱいであった。ほかにも大変身した弘田三枝子「人形の家」(歌唱賞)や高田恭子「みんな夢の中」(新人賞)など百花繚乱。極めつけはいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」で筒美京平が初の作曲賞を受賞している。筒美京平といえば、その後レコ大作曲賞を通算5度受賞することになる、日本歌謡界の大ヒットメーカーであるが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」の作曲賞受賞は、70年代歌謡ポップス黄金時代の幕開けを告げる出来事でもあった。
前述の大晦日開催であるが、これは当時、同番組のプロデューサーの1人をつとめていたTBSの野中杉二の尽力によるもの。もちろん、レコ大の後にはNHKの『紅白歌合戦』が控えている。紅白担当者は当時レコ大の大晦日開催を良く思っていなかったそうだが、12月31日を音楽のお祭りにしましょう、とTBS側が交渉、帝劇にハイヤーを待機させ、東京宝塚劇場(73年からはNHKホール)まで受賞歌手が移動する光景は、大晦日の夜の風物詩にもなった。レコ大の大賞受賞者は、『紅白』のオープニングに間に合わないのもお約束。生放送ならではのスリリングな中継が視聴者の楽しみでもあった。
豪華な帝劇での開催は、やはりTBSのプロデューサー砂田実が、帝劇創始者の菊田一夫に「帝劇をテレビの舞台で使用するのは難しい」と言われていたところを粘り強く交渉し、実現に至ったという。1969年の日本レコード大賞は、歌謡曲黄金時代の幕開けに相応しい華やかな大舞台であり、歌が老若男女みんなのものであった時代の栄光である。
佐良直美「いいじゃないの幸せならば」内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」はしだのりひことシューベルツ「風」千賀かほる「真夜中のギター」いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある
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