2018年03月02日
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2018年03月02日
ニューヨーク州ブルックリン出身のルー・リードは1942年3月2日生まれの魚座である。魚座の男特有の気まぐれでやさしくキレやすく、コワモテなのに恐ろしくデリケイトで愛嬌も忍ばせ、どれもが違う作品と同様に多重人格なほど底知れないアーティストだった。
ルーは背徳のイメージで語られてきた。60年代後半に率いたヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代やソロの初期にSMや同性愛、ドラッグもテーマに歌っていたからだ。でも代表曲の「スウィート・ジェーン」をはじめとして、ルーの本質はグロテスクな曲と背中合わせの繊細な“ラヴ・ソング”であり、ルーのすべては人間味の裏返しである。だから巨匠に見えてもあまり神格化はされていない。
不遜に映るアティテュードでも知られた人だが、人間に真正面から向き合っていたからいつでもルーは“真剣勝負”を望んだ。唯我独尊のキャラを伝えるジャーナリストに対してもそれを求めた。「訊きたいことだけ訊いてくれ」と最初に忠告したのも、その表れだ。
ソロ初期の代表作『トランスフォーマー』(1972年)のジャケットを撮った友人のミック・ロックは、気難しく見えるのはルーが人を試しているからだと言う。昔から引き合いに出されたボブ・ディランを絡めるイージーなインタヴュアーは、やりこめた。一方で絶賛すると「君は本当にそう思ってるのか?」と返す。お世辞は拒絶した。本音オンリーだ。
90年代に来日した際の朝日新聞の取材時のやり取りが特に“傑作”だ。ルーが待ち構えていた部屋に記者が入って鼻をすするや否や、風邪をうつされたら困るとでも思ったのかルーは記者に入り口のドアの外まで出ていってもらい、十分に“距離”をとって離れてインタヴューすることを要求したのある。
でもそういった行動のすべてが悪意ではない。僕にはルーならではのオチャメな心の表れに思える。ビデオ・ゲームにいそしむ『ニュー・センセーションズ』(1984年)のジャケットでも確認できよう。さらにルーの“悪乗り”を昇華したアートワークが、後期の代表作『エクスタシー』(2000年)のアルバム・カヴァーだ。80年代の半ば以降カメラに凝っていったルーがジャケ写にも挑戦。昔からのルーの性的イメージをヴァージョン・アップしたクールなアートに仕上げられているとはいえ、タイトルそのままでエクスタシーに達した瞬間みたいな自画撮りであった。
ルーはいつでも波紋を投げかけた。オーネット・コールマンに触発された『メタル・マシーン・ミュージック』(1975年)は“雑音”と酷評もされたが、当時の日本盤のアルバム・タイトルの『無限大の幻覚』へと誘う真正のサイケデリック・ミュージックだった。後のノイズ・ミュージックの走りでもあり、研ぎ澄まされた90年代以降のインプロヴァイズするギター・プレイの原型でもある。ヘヴィ・メタルを代表するメタリカとのコラボレーション・アルバム『LULU』(2011年)が最終作になったことも象徴的だ。誰がスラッシュ・メタルの曲をやるルーを予想できただろうか。
どこにも収まらなかったルーは生粋のアウトサイダー、すなわちパンクだ。リリースしてきた作品の中で最も暴力的なヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート』(1968年)の“45周年記念デラックス・エディション”に、ルーはコメントを寄せた。2013月の10月27日に他界する2か月前の言葉だから、遺書のように僕の中でいつまでも、こだまする。
“誰もそれに耳を傾けなかった。でも、そこには永遠にある、はっきり表現された(articulated)パンクの真髄が。そして誰もそれに近づかない。
≪著者略歴≫
行川和彦(なめかわ・かずひこ):Hard as a Rockを座右の銘とする1963年生まれの音楽文士&パンクの弁護人。『パンク・ロック/ハードコア・ディスク・ガイド 1975-2003』(2004年~監修本)、『パンク・ロック/ハードコア史』(2007年)、『パンク・ロック/ハードコアの名盤100』(2010年)を発表。
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