2018年03月01日
スポンサーリンク
2018年03月01日
春の訪れを実感し始める時期になると、いつも様々なところで聴かれるようになるのがキャンディーズの「春一番」。今日はその「春一番」が42年前の1976年にシングル・リリースされた記念すべき日だ。
彼女たちの9枚目のシングルだった「春一番」は、それまでの歌謡曲~アイドルの世界にはなかった画期的な音楽要素を持ち、新しい時代の到来を象徴するような一曲だった。曲調に関しては「おそらく歌謡曲のヒット曲の歴史上はじめての純粋なブルース形式の楽曲」という評価までされたことがあったが、その分析が妥当だったかどうかはともかく、ブルースをベースとしたR&B~ロック的な要素を強く持った曲だったことは間違いない。それどころか、作者の穂口雄右氏が昨年、ダフト・パンクの2013年発表の曲「Get Lucky」を聴くとコード進行が似ている「春一番」を思い出す、と発言されたりしているところを見ると、その作曲センスはさらにずっと先を行っていたと言えるのかもしれない。リズムも「当時としては異常」なほどのハイ・テンポ。そこに水谷公生のアグレッシヴなギター・ソロが乗る。そんな作品を産み出したのは、作曲に加えこの曲では作詞も手がけた穂口、水谷、そして渡辺音楽出版のプロデューサーで、ヴォーカル・ディレクションも担当した松崎澄夫という3人。その3人がみなGS、アウト・キャストのメンバーだったということも興味深い。
画期的な曲調とサウンドを持ったこの曲は、当初、75年4月の4枚目のオリジナル・アルバム『年下の男の子』用に制作されていた作品で、同年の全国ツアーでも歌われていた。その時すでに彼女たちの「お気に入りの曲」にもなっていたことはコンサート中のMCから窺えたが、ファンの反応もすごく良かったことからシングル化が検討されることになったのだった。ただし、2008年のボックス『CANDIES TIME CAPSULE』付属のブックレットに掲載された松崎澄夫インタヴューによれば、シングル発売するためには企画会議で所属事務所の渡辺晋社長の承諾を得る必要があり、そこでアレンジと詞を直すよう注文が付けられたこと。そこで詞を変更するために、すでに「年下の男の子」や「その気にさせないで」など書いてもらっていた千家和也に話が持ち込まれたが、「もう詞も曲も完璧だから」と断られたこと。それで結局アレンジだけは管楽器入りに手直しし、歌詞は以前とは別のものを仮に作って3人に歌わせたものを会議用に用意して何とかOKをもらえた、という驚きのエピソードが明かされている。その裏では当時のマネージャー、大里洋吉が仕掛けた全国のファンからの「手紙作戦」も進行していたという話もある(軍司貞則著『ナベプロ帝国の興亡』文藝春秋/1992年)。
千家が歌詞の書き換えを断った理由は、「春一番」をそのビート感覚に注目して聴いてみると理解できる。終盤のバックがシンセサイザーとドラムスだけになる部分に注目するとわかりやすいが、この曲のビートはスタックス・ソウルを思わせるような複雑なシンコペイションを持ったバス・ドラムを含むパターンが基本になっており、そのビート感が作曲時から強く意識されていたことは、穂口による歌詞にも表われていた。「雪がぁ~溶けて」「川にぃ~なって」と語尾を伸ばす部分は、ドラマーだったらそんなビートを補強するためにハイハット・シンバルを開いて音を伸ばしたくなるような箇所であり、ビートとのマッチング感がスゴいのだ。それをキャンディーズの3人はしっかりと受け止めただけでなく、完全に自分たちのものにして歌っている。彼女たちは聴き手にそのハイ・テンポで複雑なビート感覚を意識させることなく、実にスムーズにさわやに歌を聴かせてくれるのだ。誰もが口ずさめる春の名曲はこうして生まれた。
「君も僕も友達になろう」ジャケット撮影協力:中村俊夫
「春一番」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
寺田正典(てらだ・まさのり):兼業系音楽ライター。1962年生まれ。『ミュージック・マガジン』編集部、『レコード・コレクターズ』編集部~同編集長を経て、現在は福岡県在住。著書は『ザ・ローリング・ストーンズ・ライナー・ノーツ』(ミュージック・マガジン刊/2014年)。
キャンディーズのシングル「夏が来た!」がリリースされたのは1976年5月31日のこと。「春一番」と同様に、作詞・作曲・編曲は穂口雄右。この曲はそもそも同じ渡辺プロに所属していた青木美冴のために作...
記者会見での「普通の女の子に戻りたい」という台詞が流行語となったキャンディーズの解散宣言。その解散発表から9ヵ月後の1978年4月4日、後楽園球場で伝説のライヴ『キャンディーズ ファイナルカーニ...
おニャン子の正式な「別働隊ユニット」としては3組目のデビューとなったのが、会員番号38・40・42の三人からなる
同じ事務所の後輩ワイルド・ワンズやタイガースほどの少女ウケする派手さには欠けるものの、その安定した演奏力で実力派GSとして玄人筋から高い評価を得ていたアウト・キャスト。現在も活躍する音楽界の重鎮...
デビュー曲「あなたに夢中」以来、初期キャンディーズのリード・ヴォーカルをとっていたのはスーだった。甘く柔らかな声質をもち、既に安定した歌唱力があり、もっともアイドル的なルックスであったことも含め...
昨年ついに(ほぼ)完全収録のDVDがリリースされ、今からでもその全貌を把握することが容易になったキャンディーズの伝説的な解散コンサート、「ファイナルカーニバル」は、1978年の今日、4月4日に後...
1978年4月4日、後楽園球場でのキャンディーズ・ファイナル・カーニバルから38年。この3月18日(金)に、東京・赤坂BLITZにて、昨年11月に発売された同公演の完全収録DVD「キャンディーズ...
1977年の今日、3月1日に発売されたキャンディーズの13枚目のシングル「やさしい悪魔」は、彼女たちの転機になった曲だった。「キャンディーズ大人化計画」の第一弾であるこの曲、は作詞:喜多條忠、作...
今ではよく知られるようになったが、キャンディーズの音楽性の核になっていたのは、父親は声楽家、母親はピアノの先生だったという家庭環境の中で育まれたミキちゃんの音楽的感性と安定感ある歌唱力だった。本...
キャンディーズは1975年の今日、1月14日に東京有楽町にあった日本劇場(通称=日劇)のステージに初めて立った。紙テープを投げる、というユニークな応援作法の発祥の地である日劇での最初の出演はドリ...
キャンディーズのメイン・ヴォーカルがスーこと田中好子からランこと伊藤蘭にスイッチしたのは、75年2月21日発売のシングル5作目「年下の男の子」から。彼女のお姉さんキャラをイメージして作られたこの...
衝撃の解散宣言(7月17日)から約5カ月後、1977年の今日、12月5日、キャンディーズのシングル曲の中で音楽的に最も高度な一曲ではないかとも言われる「わな」がリリースされた。 text by ...
本日、11月4日はファン待望のキャンディーズのDVDボックス・セットの発売日。1978年4月4日、後楽園球場で開催された彼女たちの解散コンサート「ファイナル・カーニバル」が初めて「完全収録」の形...
1977年9月21日、キャンディーズの「アン・ドゥ・トロワ」が発売された。その2ヶ月前の7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサート中に突然発せられた「私たち、この9月で解散します」という衝撃のひ...
1973年9月1日に「あなたに夢中」でCBSソニー(当時)からデビューしたキャンディーズは、所属の渡辺プロダクションにとって傘下の東京音楽学院の生徒で構成されるスクール・メイツから誕生した初めて...
その夏のツアー“サマー・ジャック77”の初日の日比谷野外音楽堂のステージ終盤にそれは起こった。激しいダンスとファンとのコール&レスポンスで会場の盛り上がりが頂点に達した時、3人が急に抱き合って号...