2019年07月18日
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2019年07月18日
7月18日は、アンディ・ウォーホルによるバナナのジャケット『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』で知られる女性歌手ニコが亡くなった日。
ニコといえば、その盤の曲名の通り、ロック最初期の「ファムファタル=宿命の女」となったことで有名だ。透明感のあるメロディに乗った、くぐもるスモーキーな歌声は、月並みな美声よりも深いニュアンスを感じさせ、魔法のような奥行きを作り出した。ルー・リードもいいが、なんといってもニコの妖しい存在感だ。ロックにアンダーグラウンド(深層意識)へのアクセスを許した声、それはまさにカルトの始まりといえた。
ニコは一筋縄にカルト・シンガーになったわけではない。ドイツ→フランス→英国→米国とさまようことによってアーティストとなっていった。なにより有名人への引きの強さが初期から半端ではなかった。
1938年にケルンで生まれた彼女は、16歳でモデルの仕事をドイツで始める。さらに何本かの映画で女優も務め、62年にはビル・エヴァンスのアルバム『ムーンビームス』のジャケットモデルも務めていることは注目だ。
さらに62年、フランスでアラン・ドロンと交際し、クリスチャン・アーロン(愛称アリ)という男児をもうけている。
彼女の最初の音楽プロデューサーはフランスのセルジュ・ゲンスブール。ニコは1963年、前年にカトリーヌ・ドヌーヴ出演の『パリジェンヌ』というオムニバス映画に参加したジャック・ポワトルノー監督の『ストリップ・ティーズ(STRIP-TEASE)』に主演。当時の芸名はクリスタ・ニコ。ニコ演じる踊り子が、意に反しながら友人たちが経営するストリップ劇場の仕事を見つけ、始まる物語。
同タイトルのメインテーマ曲「STRIP-TEASE」もニコが歌唱することになった。同映画の音楽担当セルジュ・ゲンスブールが詞曲。編曲は、ボリス・ヴィアンからセルジュに引き継がれた編曲者で、フランス・ギャル編曲でも有名な、名匠アラン・ゴラゲール。
ところが、ニコの歌唱の声が予想より低すぎたので、ボツになってしまった。
その幻の録音は2008年発売のセルジュ・ゲンスブールの提供曲を集めたボックス『Mister Melody』に初収録された。曲調は、セルジュの1959年の代表曲「唇によだれ」をプロトタイプとしており、ほぼ同編曲。ラテン調のシャレたエキゾティックなメロディを歌う声は、まさにヴェルヴェッツ「サンデイ・モーニング」と同じ、あの木訥とした味わい。その魅力に慣れてしまった今は「なんでボツになったのだろう?」と思うが、シルヴィー・バルタンのような抜ける高音が歌手のデフォルトとされた時代には、地味過ぎた。ニコの代わりに、すでにセルジュとは親しかった名歌手ジュリエット・グレコが歌うことになった。
それがデビュー曲にならなかったことは、彼女にとっては幸いだった。当時のフランスにはサブカルチャーシーンはなく、通常の女優としての歌手デビューとなり、ロックとほど遠い立ち位置では、その後の道のりも、さぞや険しいものだったに違いない。
さらに2年後1965年に、ニコは今度は英国に渡ってロンドン・レコードよりシングル「I'm not sayin'」をリリース、歌手デビューする。
こちらは当時勃興中のフォーク・ロックを基盤とした佳曲。ローリング・ストーンズと同じロンドン・レコードからのリリースということで、前年にデビューしていたマリアンヌ・フェイスフルの路線に近いコンセプトだ。英国デビューのきっかけは、ストーンズのブライアン・ジョーンズといわれている。後の来日時のニコのインタビューでは当時ブライアンから薬物を教わったと漏らした。
65年は、麻薬文化と深く関わるヒッピー、サイケデリック文化が台頭、ロック・カルト、サブカルチャー勃興の年と考えて良い。それを彩るニコは、ブライアンというマジック・パーソンを掴み英国人脈で頭角を現した。B面の作曲・プロデュースには、後のレッド・ツェッペリンとなるジミー・ペイジが参加していることも、運命の引きの強さを表している。
一方、ニューヨークではルー・リードが64年にジョン・ケイルと出会い1965年スターリング・モリソン、モーリン・タッカーと「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」として活動を始める。ヒップな文化人たちに熱狂的に受け容れられ、アンディ・ウォーホルのプロデュースの下でのデビューアルバムの制作が決定する。
ウォーホルは、バックアップする条件としてファクトリーに出入りしていたニコの参加を提案したというのだから、ニコの強いネゴシエーションが伺える。ルー・リードは、デビューのために了承したが、不満だった。後にルーは当時の状況を「ニコは特別扱いだった。良い曲は全部ニコに取られてしまい、困った」と語った。
しかしニコの、ドイツ出身が原因と思われるゴシック性を底にたたえる暗さは、明らかにこの盤に得体の知れないアンダーグラウンド性をもたらしている。ニコの強烈なキャラクター抜きに、この盤の成功はなかった。ニコの起用は、ウォーホルの単なる私情ではなく、確かなプロデュース力を表していたと僕は考える。
この盤において、ニコはバンドに加入したわけではなくゲストだった。ライヴにも数回しか参加せず、本作リリース時にはすでに離脱していた。
67年10月、ボブ・ディラン、ジャクソン・ブラウンなどが曲を提供し、ヴェルヴェッツのメンバーも参加した1stソロ『チェルシー・ガール』が発売。ヴェルヴェツ局を基調路線としたフォーキーな盤だ。69年にイギー・ポップ&ストゥージズと録音。さらに2枚のアルバムを発表後、74年ジョン・ケイルと制作した『ジ・エンド』以降ブランク期に入る。
復帰した81年『ドラマ・オブ・エグザイル 』は、ゴシックロック、ポストパンクのプロトタイプとなり、カリスマの名を復権させ、高い評価を受ける。
85年『カメラ・オブスキュラ』では再びジョン・ケイルと組み、80年代における前衛を追求する。80年代は日本を含む世界各地でライヴを行い、多くのライヴ・アルバムに記録されている。
88年7月18日、イビサ島の自宅付近で自転車で転倒、脳内出血により死亡。
ロックに死と隣接するような深層意識への訴求をもたらしたニコは、本当の死に旅立ち、かの世界からロックの意識下をコントロールしているかのようである。
≪著者略歴≫
サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2010年、ハルメンズ30周年『21世紀さんsingsハルメンズ』『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。2016年パール兄弟デビュー30周年記念ライヴ、ライヴ盤制作。ハルメンズX『35世紀』(ビクター)2017年10月、「ジョリッツ登場」(ハルメンズの弟バンド)リリース。中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)を上梓。2018年4月パール兄弟『馬のように』、11月ジョリッツ2nd『ジョリッツ暴発』リリース。2019年6月パール兄弟『歩きラブ』リリース。
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