2018年04月19日
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2018年04月19日
1970年代に日本のポップ・シーンを彩った忘れ難き洋楽ヒットを代表するものとして、「ビューティフル・サンデー」は外せない。76年3月から総合シングル・セールス・ランキングで15週にわたって第1位を続け、およそ200万枚が売れて洋楽盤での歴代最多記録を打ち建てた。
そもそも「ビューティフル・サンデー」は72年の曲。ロッド・マックイーンと共に曲を書き自ら歌ったダニエル・ブーンの本国イギリスでは、プロデューサー/マネージャーのラリー・ページが設立した独立レーベル=ペニー・ファーシングから発売され第21位という、まずまずのヒットであった。その他、オーストリア第8位/ベルギー第4位/ドイツ第1位/オランダ第14位/ノルウェイ第1位/スイス第2位、さらに南アフリカ第1位/ニュージーランド第1位といったデータがあり、世界的に大きな手応えを残している。そうした実績を踏まえてマーキュリー・レコードが権利を買ったアメリカでは同年秋に第15位となった。当時日本でもキャニオン・レコード(現ポニーキャニオン)が「すてきなサンデー」の邦題で出しているが、テンガロン・ハットにあご髭の、あまりパットしない(と言えるかもしれない)男性がジャケットを飾ったそのシングルは、まったく揮わなかった。
そんな曲のミリオン・セラー伝説は、今日まで語りぐさとなっているようにTV番組との相乗効果を背景に持つ。75年9月にTBS系列で放映が始まった朝の情報番組『おはよう720』中で、人気の外国取材コーナーが”キャラバンII”(リスボンから東京まで70000kmのユーラシア大陸を車で横断する企画)だった。その制作チームが当時の西ドイツで耳にしたという曲をコーナー・テーマ・ソングとして起用し、TBSの資本系列にあったディスコメイトから再発売する。それがダニエル・ブーンの「ビューティフル・サンデー」だ。今度は風景と取材シーンを組み合わせた、番組のイメージ写真がジャケットだった。
3月10日に発売され3月22日付けのチャートでトップに立っていることから、瞬く間にバカ売れしたことになる。後に数多くのカヴァー・ヴァージョンが生まれるこの曲をいち早く取り上げたのが、チト河内や後藤次利らを擁したロック・バンド=トランザム(訳詞は松本隆/3月25日発売)。そして亜美ゆうの訳詞で同じ3月25日に出たのが田中星児のもの(田中がやはりTBSで出演していた、『おはよう720』に続く時間帯の『8時の空』で今月の歌だった「オー・マリヤーナ」のB面として)。NHKの幼児向け番組『おかあさんといっしょ』で初代うたのおにいさんを務めた後、五木田武信や見城美枝子らと『おはよう720』に出演していた田中の明るくさわやかなキャラクターも大きな強みとなり、彼の盤もチャート第4位となった(トランザム盤は第9位)。
それから28年を経て、70年代洋楽コンピレーションCD『ザ・セヴンティーズ』の目玉トラックとして収録され、同作のTVスポットのBGMとして用いられたのが「ビューティフル・サンデー」だったのは、もちろんひとつのディケイド(10年)を括る歴史的ヒットだったからであろう。その宣伝キャンペーンの一環として来日したダニエル・ブーンは、2004年5月8日の銀座・山野楽器でのイベントにて、田中星児との再会/共演を果たしている。
ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」、トランザム「ビューティフル・サンデー」、田中星児「オー・マリヤーナ」「ビューティフル・サンデー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
矢口清治( やぐち・きよはる):ディスク・ジョッキー。1959年群馬生まれ。78年『全米トップ40』への出演をきっかけにラジオ業界入り。これまで『Music Today』、『GOOD MORNING YOKOHAMA』、『MUSIC GUMBO』、『ミュージック・プラザ』、『全米トップ40 THE 80'S』などを担当。またCD『僕たちの洋楽ヒット』の監修などを行なっている。
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