2019年01月10日
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2019年01月10日
昭和の芸能史に燦然と輝く大スター、ハナ肇とクレージー・キャッツ。テレビに映画に舞台にと大活躍し、高度経済成長時代の日本に最高の笑いと希望をもたらしてくれた彼らの中でも一際輝くスターが植木等であったことに誰も異論はないに違いない。その後同じ渡辺プロダクションの後輩として活躍することになるコメディアン・小松政夫が、かつて植木等の付き人を務めていたことは、少しでもテレビや芸能の世界に詳しい方であれば、ご存知であろう。自叙伝がドラマ化され、『植木等とのぼせもん』のタイトルで放映されたのは記憶に新しい。「小松の親分さん」に「しらけ鳥音頭」、淀川長治の流暢なものまねなど数々のギャグや持ちネタでお茶の間を魅了した小松政夫こと本名・松崎雅臣は1942年(昭和17年)1月10日、福岡県博多生まれ。本日77歳の誕生日を迎えた。
小松政夫の自伝的小説「のぼせもんやけん」は、横浜のモーレツセールスマン時代が書かれた最初の巻が2006年に、植木の付き人になってからの続編が2007年に刊行され、それから10年後の2017年に『植木等とのぼせもん』のタイトルでドラマ化された。山本耕史が植木等を、志尊淳が小松政夫を真摯に演じる中、植木等の父親役に伊東四朗がキャスティングされたのは、かつて70年代のヴァラエティ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』で伊東と小松の息の合った名コンビのコントを見て育った世代にとっては堪らない醍醐味だった。ドラマではさらに時代を遡り、『シャボン玉ホリデー』でザ・ピーナッツや三人娘が歌うシーン、植木やハナ肇、谷啓らクレージー・キャッツが映画の撮影に臨むシーンなども頻繁に登場して華やかな60年代が再現されたが、作品の軸となっていたのは植木等と小松政夫の師弟愛であった。
自動車会社の横浜営業所でセールスマンとして優秀な成績を上げていた松崎青年が後にコメディアン・小松政夫として活躍するに至ったきっかけは、ある日週刊誌に載った、植木等の付き人兼運転手募集の記事。それを見た松崎がサラリーマン時代の高給を投げうってまで応募したのは相当な覚悟があったのだろう。600人に及んだという応募者の中から見事採用され、1964年1月からその任に就いた。『シャボン玉ホリデー』のレギュラー出演者のひとりに、後に『笑点』の座布団運びでお馴染みとなる巨漢の松崎真がいたことから、現場で呼ぶ際に紛らわしくないように、小さい方の松崎が“小松”と呼ばれるようになったのが芸名の由来である。やがて植木は小松のことを出役としてあちこちで売り込んでゆく。『シャボン玉ホリデー』のレギュラーになったのをはじめ、クレージー・キャッツの舞台や映画にも顔を出すようになっていった。東宝映画『大冒険』では、危険なバイクアクションシーンの代役を自ら買って出て、ケガまでしながら務め上げたことで監督の古澤憲吾からすっかり気に入られ、セリフのある役を貰える様になったのだという。
ある日、いつもの様に植木を乗せて車を運転していたら、「お前はもうオレのところに来なくていい」と言われ、一瞬クビなのかと思って呆然としていたら、「会社に言っておいたから。明日からは渡辺プロのタレントとして独り立ちして頑張れ」と言われて送り出された話は、植木の人柄と小松の実直さが窺えて、涙なくしては聴けないエピソードである。植木の下を離れ、テレビや映画にも頻繁に出演して活躍の場を広げていった小松が、後に事務所を辞めることになった時も、植木は「自分は何度も辞めようと思ったが出来なかった。お前は好きな様にやれ」と言って背中を押す。会社の上層部の人間を呼んで、「小松がウチを辞めても、絶対に意地悪とかをするな。もしもそういうことが耳に入ったら俺にも覚悟がある」とまで言ったそうだ。親父さんと呼んで慕っていた植木から二度も送り出してもらう場面があったことになる。2007年に植木が息を引き取った際には真っ先に駆け付け、ずっと傍らについて恩師を見送ったのだった。
コメディアンとしての真骨頂は70年代に極める。75年にスタートした『笑って!笑って‼60分』、やはり同年の『ドカンと一発60分』を経て、76年スタートの『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』で伊東四朗とのコンビ芸がいよいよ開花した。人気となる「電線音頭」のコーナーは実は『ドカンと一発60分』が最初で、番組のメインだった桂三枝(現・桂文枝)が歌うレコードも出された。小松は銀ラメの衣装を身にまとった司会者として登場。「歌は流れるあなたの胸に~」の名文句を立て板に水の名進行で披露して好評を得る。『みごろ!たべごろ!笑いごろ!!』に引き継がれた電線音頭は伊東と小松らの歌で「デンセンマンの電線音頭」として新たにレコード発売されてヒットに至る。『デンセンマンありがとう』というLPも作られた。同番組からはもう一曲、しらけたシーンになると小松がそれを逆手に取って踊り歌う「しらけ鳥音頭」もレコード化されてヒットに。小松が歌ったシングル盤では1980年の「タコフン音頭」もあり、お馴染みのギャグを宮川泰が見事に曲に昇華させた「小松の親分さん」は、企画盤LP『小松政夫の冠婚葬祭入門』に収録された。その後95年にはCDアルバム『小松の親分』も出している。
現在は日本喜劇人協会の10代目会長。ちなみに伊東四朗が相談役ということで、ふたりの連携が今なお続いているのは、“みごろ世代”にとっては無性に嬉しい。2016年には久々のレコーディングに臨んだ新曲「親父の名字で生きてます」を植木に捧げた。カップリングはかつて植木が園まりと掛け合いを聴かせた「あんたなんか」のカヴァーを園まりと一緒に歌い、芸能生活50周年記念のステージでも最高のパフォーマンスを見せてくれた。
小松政夫「デンセンマンの電線音頭」「しらけ鳥音頭」「タコフン音頭」「親父の名字で生きてます」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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