2018年04月20日
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2018年04月20日
過去3年間に渡る「大人のMusic Calendar」の歴史に於いて、一度も登場していなかったのが不思議な超重要歌手、その一人が伊藤咲子だ。今年目出度く還暦を迎えた4月2日の誕生日(ちなみにこの日は筆者最愛の女性歌謡歌手・涼川真里の誕生日でもある)にさえチャンスを見つけられず、満を持してやっと初登場である。44年前、1974年(昭和49年)の本日4月20日は、そんな伊藤咲子のデビュー曲「ひまわり娘」が発売された日だ。今回はこの曲を中心として話を進めていきたい。
伊藤咲子には、オリコンチャート(100位以内)入りしたヒット曲が13曲あるが、その割に「切り札」と呼べる楽曲の含有率が実に大きい。現在に至るまで数多のカヴァーを生み続けているスタンダード曲「乙女のワルツ」(75年)でさえ、売り上げ的には第3位(オリコン最高24位)であり、ベスト10入りした2曲「木枯しの二人」(74年)「きみ可愛いね」(76年)はアイドル史に残る名曲達だ。ネクストランナー的位置につけている「青い麦」(75年)や「いい娘に逢ったらドキッ」(76年)さえ、ベスト10常連アイドルの地味な曲より遥かに筆者の印象に残っているし、近年はチャート入りを逃したアイドル時代後期の名曲「つぶやきあつめ」(78年)の評価も高まっている。しかしやはり、ファーストインパクトという点で、デビュー曲「ひまわり娘」こそが彼女の「決定的切り札」ではなかろうか。
伊藤咲子は、73年8月12日放映された「スター誕生!」第8回決戦大会で認められ、翌年東芝からのデビューが決まる。そこまでのシンデレラストーリーに関しては、様々なサイトに書かれているのでここでは触れないとして、ここではその時期的重要性を軸としてみたい。
73年10月、東芝のレコード部門・東芝音楽工業株式会社は、英国の名門EMIレコードと東芝でほぼ持ち株半々の会社となり、社名を「東芝EMI株式会社」と改称する。従来ザ・ビートルズ、ピンク・フロイドなどを日本に紹介し、欧州EMI系レーベルの窓口として機能していた「オデオン」レーベルも、英国原盤のものはこれを機に「EMI」レーベルへと移行するなど、ドラマティックな改革がいくつかあったが、歌謡曲・和製ポップス部門にもその波は及んでいた。華々しく「EMI色」が打ち出され始めていたのである。
「心の旅」のメガヒットで一躍スターダムに躍り出たチューリップは、その勢いで英国のEMIスタジオ(言うまでもない「アビイ・ロード・スタジオ」である)での録音を敢行、その成果がアルバム『ぼくがつくった愛のうた』としてリリースされたのは、ザ・ビートルズが英国でデビューした丁度22年後となる74年10月5日だった。同日リリースされたザ・ジャネット(のちにオフコースのバンド時代を支える松尾一彦と大間ジローが在籍)のデビュー・アルバム『グリーン・スピードウェイ』も、一部アビイ・ロード・スタジオ録音という触れ込みで大々的にプッシュされた。英国録音ではないものの、クリス・トーマスをプロデュースに迎え、ワールドワイドな音楽的展開を図ったサディスティック・ミカ・バンドのセカンド・アルバム『黒船』からの先行シングル「タイムマシンにおねがい」まで、この日にリリースされていたのである。まさに「英国バンザイ」状態だった。しかし、それらより半年早かった英国録音の超重要曲があった。それこそが「ひまわり娘」である。
東芝EMIと社名変更して初の本格的アイドルプロジェクトということで(厳密には同じく「スター誕生!」出身となる堺淳子が、73年11月に「祭りの想い出」でデビューしているのだが)、ただならぬ力が伊藤咲子のデビューに注がれたが、その一つが英国でのデビュー曲録音であった。作曲家として起用されたのは、当時デュオ、シュキ&アビバの一員として活動していたイスラエル人のシュキ・レヴィで、彼らの日本でのデビュー曲「愛情の花咲く樹」を手がけた阿久悠が作詞。そして、英国人アレンジャー、ケン・ギブソンによりアレンジがまとめられた。これこそがこの曲の最重要ポイントだ。
イントロのエフェクターをうっすらかけた楽器群の絡みから、歌が入ってぱーっと弾けていくAメロ。従来の歌謡曲からは感じられない新鮮さだ。Bメロに入ると、重厚なリズムの組み立てにより、まさに当時のロンドンポップスそのものの圧巻さで、息を奪われる。ストリングスやマリンバ、リコーダーのあしらい方も可憐かつ大胆だ。それらをリードする、堂々とした伊藤咲子のヴォーカル。新人にしてこの恥じらいのなさ。ほんの3分足らずの間に、早々と咲子ワールド全開(!)である。オリコン最高20位はかなり健闘した方だが、これは当時の歌謡界に於いて「研究課題」に値すべき一曲だった。B面「オレンジの涙」も、決して見過ごしてはならない鮮やかな作品だ。
残念ながら、アルバム一枚全てを英国で制作するまでの余地はなかったらしく、7月リリースされたファースト・アルバム『ひまわり娘』は、シングルの2曲以外全て国内録音によるカヴァー曲で構成されている。しかし、それでも彼女の達者な表現力により、オリジナルを超えたとさえ言える名演がいくつか生まれているのだから見過ごせない。中でも、この時期に取り上げたこと自体事件としか言いようがないユーミンの「公式」デビュー曲、「きっと言える」の出来が素晴らしい。
後にケン・ギブソンは大場久美子のサード・アルバム『カレンダー』(78年)の英国録音ディレクターに関わり、そこには参加ミュージシャンのクレジットが詳細に記されているのだが、伊藤咲子のアルバムにそれが記されていないのが残念でならない。どのスタジオが使用されたかだけでも気になる。ちなみにサッコ・クーミン共々、制作ディレクターは筆者の考えるところの「日本のジョージ・マーティン」、渋谷森久である。
伊藤咲子の快進撃は2作目のシュキ作品「夢みる頃」を挟み、3枚目のシングル「木枯しの二人」を皮切りに三木たかし作品で怒涛の攻勢に入るのだが、それに関してはまた別の機会に。ニューアルバム『恋する名曲娘』発売も目前に迫り、まだまだ現役度を緩めない大歌手に乾杯。
伊藤咲子「ひまわり娘」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。
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