2018年07月08日
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2018年07月08日
春日ハチ、「18歳、憧れのカルメンマキから家に電話がかかってきてOZが始まった」という。
子どもの頃は、チビでメガネの運動音痴。杉並区から渋谷区の小学校に転校して周囲に馴染めず、休み時間は「ひとり鉄棒」だった。そのいたいけな少年時代のようすは『ママ』というタイトルでこのCDに収録されている。
高校時代、エレキギターを弾き始めたとたんに大人気。人生が上向きに。そして「カルメンマキ&OZ」に繋がっていく。「悪徳プロダクションに、地方のキャバレーなんかに売り飛ばされたりしてるうちに、徐々に唄が出来ていって、1974年、ファーストアルバムが出た。それが評判になって、でも3枚目やライヴアルバムが出る頃には難しくなって衰退していったの。1978年頃、やはり衰退してたRCと出会っていっしょに演るようになりました。でも、全く売れず、1979年、カルメンマキのソロアルバム録音でアメリカに行くことになって、RCを抜けました」。
RCサクセションがエレキ編成に変わる時代に彗星のごとくあらわれ、多大な影響を与え、嵐のように去っていったわけだ。
春日ハチは2006年から現在も韓国在住。そもそもなぜ韓国なのだろう。
「1985年に芝の増上寺で見た韓国パーカッショングループ『サムルノリ/사물노리 (四物遊撃)』にガチョーンと来た!まず、86年に旅行に行って、87年5月から88年9月まで韓国に住んだのです。それはもう、とっても馴染んだの」。韓国で本格的にケンガリ(鉦)を勉強し、1991年に日朝韓のメンバーで東京ビビンパクラブを結成。 1997年まで活動した。そのビビンパクラブのことを忌野清志郎が著書『ロックで独立する方法』に書いている。「春日は舞台監督まで自分でやってた。しかも開演のベルまで自分で押して。『大変なのよあんちゃん、オレ忙しくてさぁ』なんてボヤきながら、すごく嬉しそうなんだ。『すげえな、こいつ』ってうらやましかった」と。
今や、韓国の音楽業界で「hachi」を知らぬ人はいないだろう。
「2006年、韓国で生涯初、自分の名前でデビューした『hachi & TJ/チャンサハジャ』がヒットして、2016年に韓国でのソロアルバム「hachi uku songs」を出したのです。そして、2017年10月、関西ツアーをした時、日本語で歌うアルバムもあるといいかも知れない、と思い立ち、ツアーから帰ってすぐに録り始めました」
それが『独りの唄』だ。
「毎日、仕事場に行って、独りであーでもない、こーでもないと録っていったのです」
『独りの唄』の13曲中8曲はオリジナル曲である。
「発表してないだけで、僕は昔からずーっと唄を書いてたの。今回は、昔から好きだった曲、最近出来た曲を録音。選曲の基準? まぁ、、気に入るか、入らないかでしょうか」
あたりまえの答えを聞いてしまった。
盟友、忌野清志郎による曲「ムーンビーチの砂の上」(清志郎がカルメンマキに提供した曲)、「約束」(忌野清志郎・三宅伸治の共作)もカバーしている。また、前出の「hachi&TJ/チャンサハジャ」(商売しよう)の原曲「ショーバイ」が新たに日本語で収録され、2006年の録音時に清志郎に叫んでもらった「♪繁盛ぉぉぉぉ」も聴ける。
他には、ピアニカ前田、小林清の曲、Samm Bennett、Shim Jae Seongが演奏に参加。コーラスには白崎映美、Brian、塙一郎と、友人が続々と登場する。
日本のロック黎明期に、「八幡山のジミ・ヘンドリックス」(日本には各地にジミヘンがいるが)と呼ばれた彼が、今、ウクレレを弾く。
「ウクレレは、遥か昔にRCサクセションがハワイ録音した時、忌野さんが持ち帰ったものをたまに触っていました。それを2006年に借りてそのままになっていたの。時が経ち2010年、 またそのウクレレを弾いて恋に落ちたんです。非力な小規模性、決して力ずくでは成り立たない可愛さに♡です」
ウクレレの師匠は? との問いに「世界中にいます」と答えが返ってきた。
尊敬するウクレレ弾きは? と、たたみかけて聞いてみた。
「僕はあまり人を尊敬しないんですが、ハワイのハーブ・オータは憧れです」
『独りの唄』は、明るく乾いて居心地がいい。自分の好きなことを地道に追いかけてたら、あら、いつからかいっしょに歩いてたわ、という春日ハチの明るさ。背伸びはしない自然体、ゆえの身軽さ。これが楽器の名手の「余裕」というものでしょうか。
7月13日(金)、15日(日)、「CD発売記念ライブ」を東京世田谷の2ヶ所で行なう。
春日ハチが昔に住んでいた下北沢、『ラ・カーニャ』と、やはり長らく住んでいた千歳烏山の『ツボ』。
それぞれにゲストを迎えてのライブです。にぎやかな夜になることでしょう。
みなさま、ぜひとも、ユルユル一杯飲みながら春日ハチの唄たちを楽しんでください!
≪著者略歴≫
RCサクセション好きが高じて、同バンドの80年代をスタッフとして支える。マネージャー&衣裳係&ファンクラブ会報誌の編集を担当。RCサクセション活動休止後、金子マリのマネージャーとして活動。現在、14人編成のアコースティック・オーケストラグループ「パスカルズ」のスタッフ。著書に『あの頃、忌野清志郎と ーボスと私の40年ー』(宝島社)
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