2019年01月11日

本日1月11日は第54代横綱・輪島大士の誕生日~五木ひろしの作曲で歌手デビュー

執筆者:鈴木啓之

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高校時代から相撲を始め、日本大学相撲部時代には学生相撲で横綱になるなど、注目を集めていた輪島は、卒業前の1970年に花籠部屋へ入門。幕下を2場所連続で全勝優勝して当時の最短記録で十両入り、さらに十両も超スピードで通過し、初土俵からわずか1年で新入幕を果たした。1972年には大関に昇進し、番付の四股名を本名の「輪島博」から「輪島大士」に改めている。そして大関になって僅か4場所目の1973年5月場所を全勝優勝で飾ったことで、初土俵からわずか3年半という超スピード出世で横綱へ上りつめた天才力士であった。その後はプロレスへ転向、バイタリティ溢れるキャラクターでバラエティ番組に出演するなどタレントとしても活躍。2018年に70歳で惜しくも世を去ったが、温かい人柄で誰からも愛された稀代の横綱の葬儀には500人を超える弔問客が訪れて故人を偲んだ。1948年(昭和23年)石川県生まれ。本日1月11日は輪島大士の誕生日である。


輪島のニックネームは“蔵前の星”。トレードマークが金色の廻しだったことから“黄金の左”とも呼ばれて一世を風靡した。共に横綱として“輪湖時代”を築いた北の湖とは通算成績が23勝21敗と互角に戦ったものの、巨漢力士には弱味を見せ、特に高見山は最も苦手な相手であった。同時に大関に昇進した貴ノ花とは親友同士でもあり、互いの家を行き来するほどの仲の良さで知られた。同部屋の魁傑との3人で“阿佐ヶ谷トリオ”と呼ばれたこともある。角界以外にも交友関係は広く、1973年に輪島が横綱昇進した年に日本レコード大賞を獲った五木ひろしとは、同じ北陸育ちで同い年ということもあって意気投合。五木が「夜空」で大賞を受賞した大晦日のステージには輪島が祝福に駆け付け、五木を抱きかかえてそのまま歌ったシーンが印象深い。


五木との深い絆は、1978年に輪島が「望郷賦/故郷だより」で歌手デビューした際に、五木が本名の松山数夫名義で作曲を手がけていることからも窺える。「望郷賦」の作詞はたかたかし、カップリングの「故郷だより」は佐久間皓郎の作詞だが、作曲はいずれも松山数夫こと五木ひろしで、レコード発売も五木と同じミノルフォン(現・徳間ジャパン)からだった。同じ年に出されたドキュメンタリーLP『横綱輪島の道』もやはりミノルフォンからで、横綱までに至る熱戦・名勝負の実況のほか、肉親や親友が語る素顔の輪島、「輪島VS五木ひろし、歌と友情」と題されたコーナーには上記の2曲も収められた。北の富士をはじめ、増位山、琴風ら、歌自慢の力士は少なくない中で、輪島もまた玄人はだしの美声を聴かせてくれている。五木からのよきアドバイスもあったのかもしれない。


輪島関連のレコードではほかにも自身の歌ではないが、プロレス転向後の1986年にCBS・ソニー(現・ソニー・ミュージック)から出された「スーパー輪島☆スター」がある。かつて迷曲「ソウル若三杉」を出したDr.南雲がパックンギャルズなる女性コーラスを従えて歌った怪作で、ジャケットの湯村輝彦のイラストがよりアバンギャルドな雰囲気を醸し出している。求められるがままに、プロレスやタレント業にも惜しまず勤しんだ輪島の人柄の良さは、相撲の取組の際のちょっとした仕草や、テレビ番組での司会者とのやりとりなどに滲み出ていた。そんな輪島が相撲界に留まり、早世した親友の貴ノ花、そしてよきライバルだった北の湖がもしも健在であったなら、今の大相撲はもっとよい形になっていたことだろう。


輪島「望郷賦」「スーパー輪島☆スター」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。

大相撲名力士風雲録 8―月刊DVDマガジン 輪島 (ベースボール・マガジン社分冊百科シリーズ) 雑誌 – 2016/8/2

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