2019年03月06日
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2019年03月06日
歌謡曲の世界では、時折意外なヒット曲がチャートを賑わせることがある。「黒ネコのタンゴ」や「およげ!たいやきくん」などの新時代童謡をはじめ、間違ってヒットしてしまった感が否めない「老人と子供のポルカ」や「赤とんぼの唄」といったコミックソング系などジャンルはさまざま。1975年に人気競走馬の引退記念盤として出され、オリコンチャート4位を記録した「さらばハイセイコー」も、一風変わったヒット曲のひとつに挙げられるだろう。全国に競馬ブームを巻き起こした名馬・ハイセイコーの誕生日3月6日に因んで、「さらばハイセイコー」のヒットについて考察してみたい。1970年生まれのハイセイコーは2000年に30歳でその生涯を終えている。
ハイセイコーは1972年7月に大井競馬場でデビューし、重賞の青雲賞優勝を含む6連勝を達成して翌1973年1月に中央競馬へ移籍した。既に熱い注目を集めていたところへ4月に開催された皐月賞で優勝すると、その人気は社会現象と呼べるまでになる。その後の東京優駿(日本ダービー)を制するには至らず不敗神話こそ崩れたものの、常に人気を保ち続けて1974年12月に引退レースとなる有馬記念を迎えた。結果は2着に終わったが、ゴール後には11月に完成していた「さらばハイセイコー」が流されて栄誉が讃えられた。そして1975年元日にポリドールから発売されたレコードも大ヒットへと至る。歌ったのはハイセイコーの中央全16戦で手綱を取った騎手・増沢末夫で、作詞を手がけたのは競馬アナウンサーでジャーナリストの小坂巌。作詞家の山田孝雄が補作を施した。山田は1975年にミリオンセラーを記録した、さくらと一郎の「昭和枯れすゝき」や、作詞大賞を受賞した北島三郎「漁歌」などの作品で知られる。演歌畑のヒットメーカー・猪俣公章の作曲による軍歌調のメロディと冒頭に置かれた荘厳なファンファーレも印象的である。シングルB面にはハイセイコーが優勝した弥生賞と皐月賞、2着となった菊花賞のレース実況と関係者のコメントが収められた。公称45万枚の売り上げでオリコンチャートで最高4位、1975年度の年間売上げ枚数では37位を記録。ここまでの大ヒットになるとは関係者も予想出来なかったに違いない。
1974年秋、年末の有馬記念を以て引退が決定した頃に楽曲の制作が具体化し、競馬実況アナウンサーの小坂巌が、『週刊競馬報知』に執筆していた連載で、増沢の歌唱力の高さを幾度か取り上げ、ハイセイコーの歌を歌ったらヒット間違いないだろう、という文章が企画立案のきっかけになったという。小坂を介して増沢に話が持ち込まれ、当初は渋っていた増沢も、レコード会社の担当者からの説得で歌手を引き受けることとなった。レコードが大ヒットしたことで、増沢は騎手業のかたわら数々の歌番組に出演し、すぐに第2弾の「ハイセイコーよ元気かい」が吹き込まれ、競馬に造詣の深かった寺山修司が作詞を担当した。さらに、種牡馬となったハイセイコーの仔、カツラノハイセイコが、父が競走馬時代に勝てなかった日本ダービー・天皇賞(春)を制覇した1979年には「いななけカツラノハイセイコ」が、やはり増沢によって歌われている。増沢はその後も騎手として、1981年には通算1000勝、1991年には史上初となる通算2000勝を達成するなど大活躍を遂げて“鉄人”の異名を取った。ほかに競走馬がフィーチャーされたレコードでは、1975年から77年にかけて活躍しながらも、1978年に非業の死を遂げたテンポイントのことが歌われた、菖蒲芳則「君よ走れ -テンポイント讃歌-」、伊勢功一「泣くなテンポイント」、デューク・エイセス「あゝテンポイント」がある。
増沢末夫「さらばハイセイコー」「ハイセイコーよ元気かい」「いななけカツラノハイセイコ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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