2015年06月09日

「ロックの日」ロックと呼ばれる音楽が誕生したのはいつなのだろうか?…「ロック・アラウンド・ザ・クロック」

執筆者:中村俊夫

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今日6月9日は「ロックの日」とされているそうな。あくまでも語呂合わせであって、べつにロックが誕生した日ではない。それではロックと呼ばれる音楽が誕生したのはいつなのだろうか? 元々ヒルビリーと呼ばれたカントリー・ミュージックなど白人音楽とブルース/R&Bといった黒人音楽が融合して生まれたとされるロックンロールを祖とするロック・ミュージックだが、いつどこで誰が最初にその音楽的融合を試みたのかは定かではない。おそらく白人と黒人の文化的接触が日常的だったアメリカ南部あたりで自然発祥的に生まれたものだと思うが、ロックンロール生誕の地アメリカで、ロックンロール第一号レコードとして広く認められているのは(もちろん諸説あるが)、1951年3月5日にテネシー州メンフィスのサン・スタジオでレコーディングされ、同年4月にリリースされたジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの「ロケット88」である。


発売2ヶ月後にビルボードR&Bチャート1位に輝き5週連続トップの座に居座ったこの曲は、いわば黒人側からのロックンロール作品でもあったわけだが、さっそくヒットに便乗してカヴァーする白人シンガーも現れた。ヨーデル歌手出身でカントリー・ミュージックを歌っていたビル・ヘイリーである。彼の「ロケット88」カヴァー盤は不発に終わったが、3年後にビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ名義で発表したロック調の楽曲「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、翌1955年にMGM映画『暴力教室(Blackboard Jungle)』の主題歌に使用され、無軌道な若者を描いた映画の内容と共にセンセーションを巻き起こし大ヒット。ロック作品初の全米チャート第1位に輝いている。


そんな経緯から、いつしかレコード産業史的には1955年がロック生誕の年と認定され、ビル・ヘイリーは「ロックンロールの父」の称号を得ている。そんな記念すべきロック誕生の年の8月、映画『暴力教室』が日本でも公開。その衝撃的な内容から文部省が要注意作品に指定するほどの話題作となり、11月には美空ひばり、雪村いづみと共に「三人娘」として人気絶頂だった江利チエミとコーラス・グループのダーク・ダックスが、各々異なる日本語詞を付けた主題歌「ロック・アラウンド・ザ・クロック」のカヴァー盤をリリースする。

 

当時の日本のポピュラー音楽シーンはジャズが主流で、ロックンロールがどんな音楽なのか、その概念すらまだ誰も知らなかった時代だけに、両盤ともオリジナルのニュアンスとはちょっと違うベクトルに向かったアレンジの代物だった。しかし、ダーク・ダックス盤はコンボ・バンド・アレンジでオリジナル盤の感じを再現しようとしているし(ドラムの音がそれっぽい)、江利チエミ盤はロックンロールの命名者と言われている名DJアラン・フリードの番組テーマでもあった「ロックンロール・ブギー」のようなビッグ・バンド・アレンジで、これはこれで正しい方向性だと思う。まぁ、とにかく両盤とも日本人がロックンロール楽曲を歌った初のレコード(SP盤)であることには間違いない。


この他にも1955年には、ペギー葉山が同じくビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの作品をカヴァーした「マンボ・ロック」もリリースされている。アメリカの音楽業界が定めた「ロック生誕の年」は、まさしく日本においてもロックが初上陸を果たし、初めて日本人歌手によるロックンロールのカヴァー・レコードがリリースされた記念すべき年でもあったのだ。

Rock Around The Clock [Import] Bill Haley & His Comets

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