2015年07月11日
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2015年07月11日
本日7月11日はBread & Butter岩澤幸矢の誕生日である。
Bread & Butterは、昨年、デビュー45周年を迎えた。勤続46年、ミュージシャンには定年退職は無いわけで、兄の幸矢氏は今年で72歳、現役である。弟の二弓氏も66歳、さらに活動範囲を広げ、ミュージシャンとして止まる事無く、前に歩き続けている。
デビュー曲「傷だらけの軽井沢」がリリースされたのは。1969年、日本ではグループ・サウンズのブームが終わりかけ、歌謡ポップスが主流になっていった頃、海外では、第一次ブリティッシュ・インヴェンションの流れを汲み、また、ベトナム戦争まっただ中で、アメリカではヒッピー文化が人の価値観を変えていった時代である。そんな時代にアメリカを旅し、ヒッピー文化を目の当たりにして来た幸矢が弟・二弓と始めたのがBread & Butterで、日本の音楽界の中では、異質なグループであった。
彼らの2枚目のシングル「マリエ」は今に至るBread & Butterのパブリック・イメージを作り上げた曲だと思う。切ない愛を歌う美しいラヴ・ソングだが、彼らはそれを反戦歌であったという。日本では、直接的に反戦を歌詞にして歌う反戦歌はあったが、当事国アメリカでの反戦集会では、ラヴ・ソングが歌われ、反戦=人への愛という、根本から平和を願う歌が反戦集会で歌われていた。Bread & Butterの世界の底辺には、愛と平和と自由の、ヒッピー文化の思考が流れている。それまでの日本のポップスには無い詩的な歌詞は、その後リリースされた傑作「Images」へと続いていく。当時は、アイデアにも出ない海外レコーディングをロンドンで行い、サウンド的にも、Bread & Butterの世界は、日本の他のアーティストと一線を画すものとなっていった。
深い親交のあるスティーヴィー・ワンダーとの関係は有名であるがスティーヴィーが「I Just Call To Say I Love You」で、何者かに盗作として訴えられた時、幸矢氏の所有していたカセット・テープと証言により、その疑惑を晴らしたというエピソードもある。同曲はそもそも、スティーヴィーがBread & Butterのために書き下ろしたものだが、スティーヴィーが先にレコーディングしたため、後にもう一曲「Remember My Love」がスティーヴィーによって書き下ろされている。
彼らの父・岩澤庸徳氏は、映画監督、脚本家で、茅ヶ崎にある茅ヶ崎館という旅館を本拠地としていた小津安次郎の小津組にも参加していた。庸徳氏は日本初とも言えるミュージカル映画『リンゴの唄』の脚本も書き、監督としても多くの作品を残している。当時から、湘南は外国人居住者が珍しくなく、また、自然にも恵まれた環境で、外国の文化と日本の文化が混ざり合った独特の風土があった。その中で育った二人には、外国の文化と父の芸術性がしみ込んでいる。
湘南を代表するアーティストとして語られる事が多いが、彼らの歌う湘南は、ブランドとして全国的にも有名な、ハイ・センスなオシャレな海辺の街、つまり、外から見た湘南ではなく、物的幸福感より心的幸福感を重要視する、内から見た湘南である。
他とは一線を画す精神的価値観を歌うせいか、46年間の活動の中で、大ヒットは無いが、人々の心を魅了する名曲を数多く持つ。「マリエ」「ピンク・シャドウ」そして、松任谷由実が提供した「あの頃のまま」(呉田軽穂名義)は、彼らの一番のヒット曲となり、Bread & Butter復活の機動力となった曲であるが、深く親交があり、二人を良く知るユーミンであればこそ書けた名曲である。
ホテル・パシフィック・パークには多くの文化人が集い、湘南、茅ヶ崎に伝説として語り継がれている岩倉邸のガレージを手作りで改装し、閑静な住宅街にオーナーの岩倉瑞江氏とともに始めたライヴ・カフェ、Café Bread & Butterは、ユーミン、南佳孝、ムッシュかまやつ他多くのミュージシャン、サーファー達が集い、愛された。その中心には、必ずBread & Butterがいたわけで、湘南の音楽文化を作り上げた第一人者であると、私は思う。
最後になるが、今日はサッチンの誕生日。お酒を少し控えて、益々のご活躍と、名作に期待しております。お誕生日おめでとうございます。
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