2015年08月06日

不朽の名画『原爆の子』にインスパイアされて誕生したフラワー・トラヴェリン・バンド「HIROSHIMA」

執筆者:中村俊夫

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今日8月6日は、広島に原爆が投下された日。史上初の核兵器 (爆弾は武器ではないと主張するどこぞの国の防衛大臣もいるが…) 使用という負の歴史の記念日も今年で70回目となる。その70年間に小説、映画、音楽、etc…様々な分野で広島への原爆投下を題材とした作品が世界中で誕生している。日本のポピュラー・ミュージック作品だけでも、美空ひばり「一本の鉛筆」(74年)、浜田省吾「8月の歌」(86年)、さだまさし「広島の空」(93年)などが思い浮かぶが、日本ロックの伝説的存在フラワー・トラヴェリン・バンドが72年に発表した大作「HIROSHIMA」も忘れられない一曲だ。

1969年、内田裕也率いるGSザ・フラワーズがメンバー・チェンジをくり返すうちに、和田ジョージ(ドラムス)の他、ジョー山中(ヴォーカル/元フォー・ナイン・エース)、石間秀樹(現・秀機/ギター/元ビーバーズ)、上月(現・小林)ジュン(ベース/元タックスマン)といった顔ぶれが集まり、70年からフラワー・トラヴェリン・バンド(以下FTBと略す)として活動開始。同年夏に大阪万博のイベントでカナダのバンド「ライトハウス」と競演したことがきっかけとなり、デビュー・アルバム『エニウェア』(70年10月)リリース後にライトハウスの誘いでカナダ遠征が決定する。

70年末にカナダに渡ったFTBは、翌71年からトロントのオンタリオ・プレイスを皮切りにスタートしたライトハウスの全国ツアーにオープニング・アクトとして同行。そのオリエンタルなエキゾティシズムとハード・ロックを融合した独特のサウンドが各地で注目され、やがてメインのライトハウスを喰ってしまうほどの人気を博すようになる。カナダに渡る前にレコーディングした2ndアルバム『SATORI』(71年4月)はアメリカ、カナダでもリリースされ、シングル・カットされた「SATORI Part2」はトロント地区のローカル・チャートのトップ20内にランクされるヒットとなっている。

 

こうしてカナダでも名を上げたFTBは、トロントのサンダー・サウンド・スタジオでライトハウスのリーダー、ポール・ホファートのプロデュースの下、3rdアルバムの制作を開始する。収録曲全8曲すべてが石間秀樹の作曲作品。全曲の作詞を手がけたのは、カナダでのFTBの活動をサポートしていたコーディネイター、ジョニー野村の妻(当時)・野村陽子。のちにジョニーがプロデュースしたゴダイゴの数々のヒット曲の歌詞を生みだすことになる奈良橋陽子である。この時、石間秀樹&野村陽子のコンビによって誕生した一曲が「HIROSHIMA」であり、石間が中学生の時に観た新藤兼人監督の映画『原爆の子』(1952年8月6日公開)の衝撃を思い起こして作曲したものだった。

原爆投下の瞬間を表現したと思われるピアノの打音とシンバルの連打に続き重苦しいベースのリフが始まり、それに重なるギターのリフに導かれて「ある夏の日キノコ雲が盛り上がる/それまで誰も見たことのないキノコ雲が/街を往く人たちが/階段に腰をおろす人が/敷石に溶け込んでいったあの日…」という原爆投下直後の惨状を描いた英語詞がヘヴィなサウンドをバックに歌われていく…。そんな日本ロック史上初の反核メッセージ・ソングとなった「HIROSHIMA」は、カナダで制作されながらも『Made In Japan』というタイトルが付けられた3rdアルバムに収録され、72年2月にリリースされた。

アルバムのリリースに合わせて1年半ぶりの帰国を果たしたFTBは、72年3月18日の東京都体育館を皮切りに「帰国凱旋ツアー」で日本各地を廻るが、「SATORI」「KAMIKAZE」「Aw Give Me Air」といった人気曲と共に「HIROSHIMA」はステージでの定番曲となっていく。73年2月にリリースされた4thアルバムにしてラスト・アルバムとなってしまった『MAKE UP』では、72年9月16日に横須賀文化会館でライヴ・レコーディングされた「HIROSHIMA」を聴けるが、途中ベース・ソロやドラム・ソロを挟む25分近くにも及ぶ長尺作品に生まれ変わっている。5分強のスタジオ・ヴァージョンがライヴを重ねる中で変化と進化を遂げていったのだ。


アルバム『MAKE UP』リリース後、京都・円山公園音楽堂でのライヴを最後にFTBは解散してしまうが、2008年にオリジナル・メンバー4人に後期のサポート・メンバーだった篠原信之(キーボード/元ハプニングス・フォー)を加えた顔ぶれが集結し期間限定で再始動。新作アルバムの制作の他、再始動ツアーを敢行し、日本国内に止まらず、トロント、ニューヨークにまで遠征した。そして、3年後にジョー山中が他界してしまうため、結局オリジナル・メンバーが揃うFTB最後のステージとなってしまったこのツアーのセットリストで、いつもアンコールのラストに用意されていたのが「HIROSHIMA」だったのである。


フラワー・トラヴェリン・バンド

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