2018年01月25日

今から49年前の今日1969年1月25日、内田裕也とフラワーズがデビュー・シングル「ラスト・チャンス」をリリース

執筆者:中村俊夫

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1967年8月、約3ヶ月にわたるヨーロッパ放浪旅行から帰国した内田裕也は、ヨーロッパ滞在中に体験したクリーム、ジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイドといった新時代のロック、ヒッピー・カルチャーなどに触発され、さっそく新しいバンド結成に向けて動き出す。内田の留守中に日本の音楽シーンは、彼が渡欧前に発掘したザ・タイガースの爆発的な人気がきっかけとなり、グループ・サウンズ(GS)と呼ばれる新興ビート・グループが続々とデビューを飾る一大バンド・ブームが巻き起こっていた。新バンドを率いて凱旋するには最適の状況だったのである。


ユーヤ氏の構想では、ジェファーソン・エアプレイン・スタイルのバンドで、グレイス・スリックやジャニス・ジョプリンのような女性シンガーの存在が必要不可欠だった。そこで声をかけたのが、ロカビリー時代から旧知の麻生京子である。62年から「鹿内タカシとブルー・コメッツ」の準専属歌手としてステージに立ち、同年5月に「ハンガリア・ロック」でレコード・デビュー。そのパワフルな唱法で“和製ブレンダ・リー”と呼ばれた彼女だったが、67年初頭に一時休業し、芸能界引退までを考えていた。そんな矢先の内田からの誘いに応じて彼女はバンド参加に同意。「麻生レミ」と改名までする。


とりあえず女性ヴォーカリストを確保し大阪に向かった内田は、現地のジャズ喫茶で活動していた「キャシー五月とレインジャーズ」から女性シンガーのキャシー五月を除くメンバー全員をスカウト。それに元タイガースのバンドボーイだった千葉ひろしを加え、麻生レミ(ヴォーカル)、千葉ひろし(ヴォーカル)、奥ススム(ギター)、小林勝彦(スティール・ギター)、橋本健(ベース)、和田ジョージ(ドラムス)、そしてプロデューサーでリーダーの内田(司会、ヴォーカル、タンバリン)という顔ぶれがで「内田裕也とフラワーズ」を結成した。


本格的サイケデリック・サウンドを聴かせるグループとして、鳴り物入りで登場した彼らは67年11月『新宿ACB』でステージ・デビュー後、加瀬邦彦が作曲した「愛するアニタ」でレコード・デビューを飾る予定だったが、レコーディングは終えたものの発売までに至らなかった。もともと同曲はタイガースの新曲として録音されたがお蔵入りとなり、その後フラワーズに廻ってきた作品で、結局、ワイルド・ワンズによって68年1月にリリースされている。


翌68年の5月と8月には『日劇ウエスタン・カーニバル』に出演。筆者は8月の同カーニバルでフラワーズのステージを体験しているが、ワウペダルとファズをかけたスティール・ギターのフリーキーで強烈な音は今でも耳に残って離れない。明らかに他のGSたちとは毛色の異なる唯一無二の存在であった。そんな異色バンドぶりを買われてか、前衛作曲家・一柳慧プロデュースの企画アルバム『オペラ・横尾忠則をうたう』(68年9月)にも参加。サイケデリックなインストゥルメンタル曲を披露している。


68年7月にヴォーカルの千葉ひろしが病気のために脱退。後釜としてスパイダースのバンドボーイだった中村ケントが加入する。同年11月公開のコント55号の主演映画『世紀の大弱点』(東宝)に出演したフラワーズは、劇中で橋本淳・作詞、井上忠夫・作曲による「ラスト・チャンス」を披露。同曲は2カ月後の1969年1月25日、フラワーズ結成後1年と3カ月を経ての遅いデビュー曲として、「フラワー・ボーイ」(橋本淳・作詞、筒美京平・作曲)とのカップリングでシングル発売された。


フラワーズ本来の音楽性とは異質の歌謡曲臭い曲調であったが、イントロから全編に鳴り渡る独特なスティール・ギターのサウンドと、クリームのジャック・ブルースばりにドライヴするベース・プレイによって、凡百のGS歌謡とは一線を画す作品に仕上げており、オリコン第92位にランクされた。ちなみにイントロ前のカウントの声はユーヤ氏と思われがちだが、ベースの橋本健である。


69年7月、新バンド「ファニーズ」(タイガースの前身バンドから名前を貰った)結成のために脱退した中村ケント在籍中最後のレコーディング作品となった待望のアルバム『チャレンジ!』をリリース。メンバー全員がオール・ヌードとなったジャケットが話題を呼んだ。同年11月にセカンド・シングル「ファンタジック・ガール」をリリース後、元ビーバーズのギタリスト石間秀樹(現・秀機)と元フォー・ナイン・エースのヴォーカリスト城アキラ(のちのジョー山中)が加入し、翌70年1月、銀座『ヤングメイツ』でのライヴ・レコーディングを最後に麻生と小林が渡米。奥と橋本も脱退した。その後、残ったジョー、石間、和田の3人に元タックスマンの香月ジュン(現・小林ジュン/ベース)を加え、フラワー・トラヴェリン・バンドが誕生するのである。


一方、渡米した麻生レミはクラブ廻りのバンドで活動した後、自分のバンド「ウィンド」を結成。70年秋~71年に一時帰国して、井上堯之たちと共にライヴ活動していたが、再び渡米し現地で結婚。現在までに『OWN LINES』(76年)、『THE BEGINNING』(78年)の2作のソロ・アルバムを発表している。同じく渡米組の小林勝彦はスティール奏者として「カッツ」の愛称で親しまれながらカントリー・ミュージック界で活躍。マーティ・ロビンスなど大御所シンガーたちのライヴやレコーディングに参加していたが、2004年に他界している。


奥ススムは70年代に泰英二郎(現・猫夜叉の横山エントツ)と「ファミリー・ミュージック・ストア」を結成するがシングル2枚を残して解散した。フラワーズ脱退後、音楽シーンから離れていた橋本健(現・大谷匡広)は、会社経営の傍ら2014年に自社の従業員や知人たちと「ニューフラワーズ」を結成。現在はフラワーズ時代のリズム・コンビである和田ジョージも加わり、ライヴハウス等で演奏活動を続けている。

「ラストチャンス」「チャレンジ!」写真提供:中村俊夫 


≪著者略歴≫

中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。
最新著は『エッジィな男 ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)。

 

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