2015年07月20日
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2015年07月20日
公称売り上げ枚数は270万枚、オリコン記録では207.7万枚となっており、これは発売元のキングレコードにとっては未だ破られていない最高記録である。マルチ商法で底上げしまくったAKB48でさえ、最高売上枚数の盤でもここまでの数字を叩き出していないのだ。
さて、日本中がGSブームに沸く68年夏、当時のキューティポップ勢と一線を画すボーイッシュなヘアカットの長身娘をフロントに置き、アダルト感覚に溢れる兄貴共(実際メンバーの内3人は既に妻帯者だった)がバックアップするというスタイルのこのバンド、ヴォーカル&インストルメンタル・グループでありながら、GS研究家・黒澤進氏による初のGS総括本「熱狂! GS図鑑」('86年)に於いては、「歌謡曲的グループ」と見なされ、掲載対象から除外されていた。少なくともメジャーの音楽産業に属するGSは、女性演者を招き入れることを意図的に避けていたので、この処置には頷くしかないが、そのせいで彼らに対する正当な再評価が遅れたのは否めないと思う。
デビュー当時は、同じキングが販売していたA&Mレーベルを代表するグループ、セルジオ・メンデス&ブラジル'66を意識し、和製ボサノヴァを標榜するバンドと呼ばれることが多かったが、初期のシングル曲を聴くと、バンドの生み出すグルーヴは寧ろロックそのものである。同時期のGSのレコードでも、ここまで自己主張している演奏が聴けるものは稀かもしれない。歌謡曲的=非GSというイメージを醸し出したのは、楽曲の感触というより、寧ろ男性陣のルックスだったのではないだろうか。
この女性歌手+男性プレイヤーズというスタイルは、これだけ大ヒットしたのだからフォロワーが生まれまくっても不思議ではないが、二番煎じ的存在と言えるものは意外と少ない。キラーズ結成前、密かに今陽子のソロシングルを1枚出していたビクターからは、負け惜しみの如く同スタイルの男女混成バンドが、69年だけで4組も登場しているが、大ヒットを放ったのは「帰り道は遠かった」のチコとビーグルスのみだった。後に本格的ロック路線に参入する内田裕也とザ・フラワーズも、「ラスト・チャンス」でコロムビアからデビューした際には、ピンキラを念頭に置いた売り出し方を強要されたように思える。
激動の昭和歌謡界に於いて、正に孤高の存在と言えるピンキーとキラーズ。英米より1年遅れで到来したのかしなかったのか解らない、日本に於ける「サマー・オブ・ラブ」のテーマ曲に相応しいのは、やはりこの曲「恋の季節」かもしれない。そして今は、末期のシングル「愛に生き平和に生きる」が正に求められる時代になった…。
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