2018年05月20日
スポンサーリンク
2018年05月20日
昨年12月に腰の手術を受けて以来、術後感染による合併症と闘い続けてきたノーキー・エドワーズが、3月12日早朝、ついに帰らぬ人となってしまった。享年82歳。突然の訃報は世界中に伝播されオールド・ファンたちに衝撃を与えたが、中でも1965年にザ・ベンチャーズの一員としての初来日以来、ソロ独立後~晩年に至るまで頻繁に日本を訪れていたノーキーを慕う日本のファンたちの喪失感はあまりに大きく、現在もなお“ノーキー・ロス”状態が続いたままの人も多いようだ。いかにノーキーが日本で愛されていたのかがわかるだろう。
ノーキーの逝去で、“オリジナル・フォー”と呼ばれた最盛期ベンチャーズのメンバーも、これで存命者はドン・ウィルソンただひとり。そんな彼も公演活動からは引退しているので、半世紀以上に亘るオリジナル・ベンチャーズの歴史も事実上、ここに終焉を迎えたことになる。しかし、その偉大な歩みを今ふり返ってみると、彼らが“エレキの伝道師”として日本中の若者たちにエレキ・ギターの魅力を知らしめたことが、いかに日本のポピュラー音楽を劇的に変える作用を及ぼしていったのか改めて認識させられるのである。
数えきれないほどの来日公演を果たし、日本津々浦々まで演奏して廻り、各地でエレキ・ブームを巻き起こしたザ・ベンチャーズ。エレキ・ギターの普及だけでなく、「エレキ」という言葉をもひとつの音楽ジャンル用語として定着させた功績も大きい。彼らを観て、初めて生のエレキの音を聞いたという人も多いだろうし、実際、それがきっかけで音楽の道を志し、現在はプロとして第一線で活躍しているミュージシャンも少なくない(Char、鈴木茂、浅野孝已、渡辺香津美などが好例)。
特別な音楽知識が無くとも誰でもが少し練習すれば参加できるというハードルの低さ(奥は限りなく深かったが…)から、ザ・ベンチャーズをお手本としたアマチュアのエレキ・バンドが全国各地に誕生。やがて『勝ち抜きエレキ合戦』などテレビのバンド・コンテスト番組から、ザ・サベージ(寺尾聰が在籍)やザ・フィンガーズ(成毛滋が在籍)といった優勝バンドがプロ・デビューを飾っていったが、これは従来の徒弟社会のようなプロ・ミュージシャンの世界に、弟子入りやバンドボーイ体験なしでも素人が入り込むことが可能になった革命的な瞬間でもあった。まさに“素人の時代”の到来。これこそがエレキ・ブームがもたらした重要なポイントであり、その契機を作った張本人こそ、日本中の若者たちにエレキ・ギターの魅力を伝えたザ・ベンチャーズだったのである。
ベンチャーズの功績・評価は、日本だけに限ったことではなく、これまでにビルボードHOT100内に14曲を送り込み、アルバム・チャート200以内 に37枚のアルバムをチャートインさせている実績は、本国でも高く評価されており、2008年にはロックの殿堂入りを果たしている。今日のロック・ギターの進化はベンチャーズ抜きでは考えられないのだ。
50年代のコンボ・バンドではワキ役だったエレキ・ ギターの存在を一躍主役の座に据え、現在のロック・バンドの基本型を築いたのもベンチャーズだし、ノーキーが生み出した様々な新しいギター奏法とそれを可能にした画期的なライト・ゲージをはじめ、ファズ、ワウペダル、ディストーション、ディレイなど周辺機器の開発は、エレキ・ギターの可能性を拡げ、ロック・ギター史に新たなページを加えていった。
現在、誰でもがごく普通に用いているディストーション・サウンドを初めて一般的にしたのも、ジェフ・ベックが用いて話題となったトーキング・モージュレイターをその数年前に使用していたのもベンチャーズだったと言ったら、若きギター・キッズたちは驚くかもしれないが、それは紛うことなき事実なのである。ラモーンズやB52'sなどがモズライトのギターを愛用しているのも、決してザ・ベンチャーズと無関係とは言えないだろう。
1959年にドン・ウィルソンとボブ・ボーグルのギター・デュオとして結成されて以来、メンバーの脱退、死去などによってメンバー・チェンジをくり返し、現在はリオン・テイラー(ドラムス)、ボブ・スポルディング(ギター)、イアン・スポルディング(ギター)、ルーク・グリフィン(ベース)というラインアップで公演活動を続けているベンチャーズだが、79年に栄光のオリジナル・フォー(ドン、ボブ、ノーキー、メル・テイラー)が久々に集結。日本のみでアルバムを発表した他、翌80年にはカナダのレコード会社のために、往年のレパートリー30曲を再レコーディングしている。
その全音源を集めたのが、この5月16日にテイチクよりリリースされたノーキー・エドワーズ追悼盤『ザ・ベンチャーズ ベスト・ヒット・コレクション30』である。記念すべきメジャー・デビュー曲「ウォーク・ドント・ラン(急がば廻れ)」から、現在もライヴには欠かせない定番曲「ダイヤモンド・ヘッド」「10番街の殺人」「アパッチ」、「ブルドッグ」「パイプライン」「ドライヴィング・ギター」等、そして、毎度ライヴのお約束アンコール曲「キャラバン」まで、お馴染みのベンチャーズ・ナンバー30曲の新録音ヴァージョンを、最新デジタル・リマスタリングによる高音質・高品質CDで楽しめる。
さすがに熟年の域に達した彼らのプレイからは、絶頂期のザ・ベンチャーズのパワーとダイナミズムを望むのは難しいかもしれないが、逆に大御所ならではの余裕あふれるプレイを堪能できる。今となっては二度と集結できないオリジナル・フォーの歴史的レコーディング・セッションの全貌を収録した貴重なアルバムであることは間違いないだろう。
≪著者略歴≫
今から51年前の今日1968年6月20日にリリースされた新生フィンガーズのデビュー曲「愛の伝説」は、作曲者の村井邦彦にとって、テンプターズの「エメラルドの伝説」に続くクラシカルなテイスト溢れるG...
1970年3月14日から9月13日にかけて、戦後日本の高度経済成長を象徴する国家イベント・プロジェクト大阪万博が開催された。万博を記念して埋められたタイム・カプセルには、公式テーマソング「世界の...
“ベンチャーズ・モデル”で有名なモズライト・ギターは、アメリカのカリフォルニア州ベーカーズフィールドでギター工房を個人で営んでいたセミ・モズレー(Semi Moseley/ 1935年‐1992...
本日1月30日は、ニューロック期から横浜ロック・サーキットの主要人物のひとりとして活躍。70年代末のブレイク以降は、そのソウルフルなヴォーカルと“泣き”のギター・プレイで「和製エリック・クラプト...
61年に映画『大学の若大将』の挿入歌・主題歌「夜の太陽/大学の若大将」で歌手デビューを果たした加山雄三。その後、弾厚作のペンネームで自ら作曲も手がけた「恋は紅いバラ」「君といつまでも」を連続ヒッ...
加瀬邦彦は1941年に東京で生まれたが、慶應義塾高校1年生の秋に神奈川県茅ヶ崎市に移住、それが当地に住んでいた加山雄三との出逢いに繋がる。当時、まだ加山は慶応義塾大学2年生で芸能界デビュー以前だ...
1967年3月1日は、成毛滋率いるフィンガ-ズのデビュ-・シングル「灯りない街」(Teichiku Union US-518-J)の発売日である。'65年に始まったエレキ・ブ-ムのなか、曲芸的と...
本日2月3日は、音楽界の“ラスト・サムライ” 喜多嶋修の誕生日。40年以上も前から“East meets West”を標榜した音楽活動を国際的な場で展開し、その日本人としての高い精神性と孤高のス...
寺内タケシ氏(本名、武)は、1939年(昭和14年)1月17日、茨城県土浦市で電気店を営む父親(龍太郎)と小唄や三味線の師匠であった母親を両親として誕生。60年代、まだエレキ自体がどういうものか...
50年前の1967年1月9日は、グヤトーンと共に日本のエレキギターを引っ張ってきたエレキギターメーカーであるテスコ株式会社の経営が行き詰まり河合楽器の傘下に入り吸収された日である。加山雄三が『エ...
1966年12月15日に発売された『この手のひらに愛を/ザ・サベージ・アルバムNo.1』は文字通りザ・サベージの初のアルバムであるが、このあと『アルバムNO.2』が発売されることはなかった。 t...
ベンチャーズの人気を中心にエレキ・ブームが世を席巻していた1965年の暮れ、ブームを象徴するプログラムピクチャーが封切られた。東宝のドル箱映画<若大将シリーズ>の第6作目にあたる『エレキの若大将...
1970年の11月9日、渚ゆう子の「京都の恋」がオリコン・チャートの1位を獲得した。この曲を作曲したのはベンチャーズである。これはどういった経緯で生まれたコラボレーションなのだろうか? text...
'65年1月3日より始まったベンチャ-ズ日本公演では、最終兵器と呼ばれたモズライト・サウンドが大爆発を起こして我が国に空前の
本日5月18日は寺尾聰の誕生日。彼の芸能活動の原点であり、そのフレッシュなムードとサウンドで多くの若い音楽ファンたちの心を掴み、GSムーヴメントの一翼を担ったザ・サベージもデビュー50周年を迎え...
今から48年前の今日1968年5月10日にリリースされたザ・スウィング・ウエストの5thシングル「幻の乙女」は、名古屋・大阪地区でB面の「雨のバラード」の人気が徐々に高まり、彼らにとって最大のヒ...
1965年お初来日では空前のエレキ・ブームをもたらした。中でもノーキー・エドワーズのギター・プレイや日本にはなかったライト・ゲージの使用など、当時の成毛滋らアマチュア・プレイヤーたちに大きな影響...
1972年(昭和47年)の本日2月15日、平田隆夫とセルスターズの2枚目のシングル「ハチのムサシは死んだのさ」がリリースされた。当時の歌謡界にあって大いに異彩を放ったこの大ヒット曲の誕生の背景に...
今から48年前の今日は、ザ・ランチャーズのデビュー曲「真冬の帰り道」がリリースされた日。しかし、その5年前にザ・ランチャーズという名前のバンドが結成された時のメンバーは誰一人として、この<デビュ...
今から43年前(1972年)の今日9月19日は、<日本最強のロック・トリオ>フライド・エッグが解散した日。Text by 中村俊夫
台北のレストラン・シアター「中央酒店」で歌って人気を博していた欧陽菲菲を見出したのは、坂本九をはじめ多くのスター歌手を発掘・育成してきた、東芝の草野浩二ディレクターであった。氏が一連のベンチャー...
今からちょうど50年前(1965年)の今日5月10日は、ザ・スパイダースがデビュー・シングル「フリフリ」をリリースした日。それを遡る4年前の1961年5月、ロカビリー・ブーム期の名門バンド「スウ...