2016年02月21日

[第2回読者投稿コラム]1978年2月25日、原田真二のファースト・アルバム『Feel Happy』がリリース  text by 六條浩和

執筆者:読者投稿

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

第2回読者投稿

読者投稿コーナーへたくさんのご応募いただき、ありがとうございました。編集部による審査の結果、第2回読者投稿コラムは六條浩和さんの「1978年2月25日、原田真二のファースト・アルバム『Feel Happy』がリリース」に決定いたしました。本誌では読者による投稿コラムを随時募集しております。みなさんのコラムをお待ちしております。


1978年(昭和53年)2月25日は、原田真二のファースト・アルバム『Feel Happy(フィール・ハッピー)』の発売された日。オリコン・チャートにて初登場1位を記録し、新人のファースト・アルバムがこのような記録を達成する事例はオリコン誌上初のこととなった。

後に宇多田ヒカルやBirdなど注目される新人のファーストが初登場1位になる現象などそれ程珍しいことではない感があるが、その先鞭をつけた人といえるだろう。所謂シンガー・ソングライターかつアレンジャー、プロデューサーの資質があるタイプで、かつこの若さ(19歳3ヶ月)で首位になったことは以後にも例が無い。


原田真二は1958年(昭和33年)12月5日広島にて生まれた。子供時代は宇宙飛行士を夢見る少年だった。エルビス・プレスリーのハワイ中継やモンキーズに触発され、音楽好きになっていったようで、高校時代は多くのバンドを掛け持ちするなど、音楽漬けの生活を送っていた。とある雑誌に同郷の吉田拓郎らが作ったフォーライフ・レコードの新人オーディションを目にして応募のため、自作曲の多重録音に勤しむこととなる。


高校2年生での修学旅行をキャンセルしてまでデモ・テープ作りに没頭して、ギリギリの時間で送ったという。

送られたデモ・テープでは、「パニック」、「君の世代へ」の2曲が少なくともあったようだ。「パニック」は泉谷しげるがぶったまげたほど過激な曲だった。「君の世代へ」は後の「てぃーんず ぶるーす」の原曲で、原田自身の作詞で、当時はやっていた暴走族について歌ったものらしい。レコード・デビューに際しては原田の家族側を話し合いがもたれたようで、高校卒業後に持ち越された。'77年、原田は青山学院大学に合格し高校卒業後上京。ちなみに、新人オーデションは、川村ゆうこが「五人目のフォーライフ」として拓郎のプロデュースと作曲で「風になりたい」という曲でデビューしている。


元渡辺プロダクションの大里洋吉が新会社「アミューズ」の第一号所属タレントとして原田のマネージメントをすることとなった。大里はキャンディーズの解散騒動の責任を取る形で退社、独立をするわけだが、拓郎とはやはりキャンディーズでの作曲で付き合いがあり、実現したことなのだろう。


「てぃーんず ぶるーす」「キャンディ」「シャドーボクサー」と3ヶ月連続シングル・デビュー。プロデューサーとして拓郎と名を連ねているが、実質原田のセルフ・プロデュースであったという。これは本アルバムでも同様だ。また、拓郎とは違い、積極的にテレビ番組等に露出される戦略がとられ、新人としては大変恵まれた環境でデビュー出来たこととなる。


作詞の松本隆は、デビュー曲の「てぃーんず ぶるーす」について、はっぴいえんど時代の作詞イディオムをそのままプロの作詞家として通用できると確信した、とCD-BOX「風街図鑑」にて語っている。フォーライフという、大きなレコード会社では出来ない実験だったとも。この実験の成果は80年代以後の近藤真彦や松田聖子の諸作品でも大きく発揮されることとなる。


原田の後のアルバムでは、LA録音のセカンド・アルバムは別にしても、基本、彼のバンドやワンマン・レコーディングの傾向が多く、その点ではこの「フィール・ハッピー」とは色合いの違う内容となっている。原田の才能を最大限に引き出した本作は、吉田拓郎、大里洋吉、松本隆と豪華なスタジオ・ミュージシャンのバック・アップが結集した初期の傑作といえるだろう。 

Feel Happy 2007~Debut 30th Anniversary~ 原田真二

  • コロムビア・ガールズ伝説
  • ダイナマイトポップス
  • 読者の投稿コラム大募集!

関連記事

  • ツイート

Pagetop ↑

コラム一覧

一覧

音楽ジャンル

カテゴリー

執筆者一覧

一覧

SNS