2015年05月01日

アルバム『断絶』が生んだ奇跡の再会!

執筆者:中村俊夫

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今から43年前(1972年)の今日リリースされた井上陽水のアルバム『断絶』。1969年に「アンドレ・カンドル」の芸名でデビュー以来3枚のシングルをリリースしながらも鳴かず飛ばずだった彼が、レコード会社を移籍し「井上陽水」と改名後の記念すべきデビュー作である。収録曲の中で当時のシラケ世代の心情を歌った「傘がない」がラジオの深夜放送で話題となってアルバム発売の2カ月後にシングル・カット。苦節3年、初のチャートイン曲となり(オリコン69位)、相乗効果でアルバム自体もオリコン・アルバムチャート8位まで上っている。


アルバム全曲の編曲を手がけたのは所属事務所(ホリプロ)の先輩で、このアルバムのバッキング演奏に全面参加していたモップスのギタリスト星勝。元々モップスの音楽的リーダーだった星は、GS仲間であるハプニングス・フォーのリーダー、クニ河内から譜面の読み書きを一から教わり、モップスのレコーディングを通してほぼ独学で管楽器・弦楽器のアレンジをこなしていった。そしてモップス以外のアーティストの編曲を初めて手がけた作品が『断絶』だったのである。翌73年には、井上陽水初のオリコンNo.1アルバムであり、ミリオンセラーを記録した『氷の世界』のアレンジとサウンド・プロデュースを手がけて一躍脚光を浴び、74年のモップス解散後も、井上陽水、小椋佳をはじめ、来生たかお、安全地帯、薬師丸ひろ子、上田正樹、中島みゆき等の作品のアレンジ/プロデュースで名声を高めていった。


そんな彼の才能を早くから見抜いていた人物がいる。出身校である聖学院高校の美術教師だ。当時、星が結成していたモップスの前身バンド「チェックメイツ」が学園祭で演奏するのを観ては、特に星のアレンジで生徒会の歌をロック風に演奏しているのを褒めてくれたという。後年『断絶』の制作中、キーボードで参加した深町純とレコーディング終了後に世間話をしているうちに、深町の父親がその美術教師であることが判明。これがきっかけとなり、高校卒業以来久々に恩師との再会を果たすことができたという話を、以前、星さん御本人からうかがったことがある。


ちなみに、同じ聖学院高校の後輩である浅野孝已(ゴダイゴ)にとっては、この深町先生、とても煙たい存在だったらしく、すでに高校時代からセミプロバンド「ジュニア・モップス」のギタリストとしてディスコ等で仕事し、授業をサボりがちだった彼をしょっちゅう叱りつけていたという(御本人・談)。結局、仕事と勉学の両立が図れず学校を中退した浅野さんだが、その後の活躍ぶりは周知のとおり。理由はともあれ、深町先生が注目していた教え子ふたりが、共に才能あるミュージシャンだったことには間違いない。

井上陽水

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