2016年04月14日
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2016年04月14日
童謡歌手・安田章子時代からの長いキャリアを誇る由紀さおりが、あらためてその実力を発揮したのが2011年のこと。米国のジャズ・オーケストラ、ピンク・マルティーニと組んで発売したアルバム『1969』は、2011年の全米iTunesジャズ・チャートで1位を獲得したほか、世界各国で大反響を呼んだ。「ブルー・ライト・ヨコハマ」「夕月」などの歌謡曲から「パフ」「マシュケナダ」などの洋楽まで1969年の大ヒットを収録し、新たなワールド・ミュージックとして世界に発信したのである。
このアルバムに唯一収録された自身の持ち歌が「夜明けのスキャット」だった。1969年に発表され、同年の4月14日付でオリコン・チャート1位を獲得。年間1位の大ヒットとなった彼女の出世作である。ちなみにこの曲に10週連続1位を阻まれたのが、同じく『1969』に収録されたいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」であった。
「夜明けのスキャット」はもともと、TBSラジオ「夜のバラード」のオープニング曲として作られ、当初は♪ルルル……の部分のみを録音し放送していた。番組がはじまるとリスナーから「あのレコードは出ていないのか?」と放送局やレコード店への問い合わせが殺到し、作曲のいずみたくは急遽山上路夫に作詞を依頼、2番に歌詞をつけ由紀のヴォーカルでレコード化にこぎつけたのである。Bメロ部分に7thやテンション・コードを用いて、しゃれたヨーロピアン・テイストを演出していることも聴き逃せない。
サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」とのイントロ&歌い出しの類似を指摘されたり、話題にはこと欠かなかった曲だが、このタイトルをつけたのは、東芝音楽工業の担当ディレクター・高嶋弘之。ビートルズの日本における仕掛け人としてその名前を知られるが、この時期の高嶋は邦楽部門に移り、黛ジュン、フォーク・クルセダーズらを担当していた。
由紀さおりは童謡歌手から歌謡曲へ転身し、65年にキングから本名の安田章子で「ヒッチハイク娘」でデビューしたがヒットに恵まれず、CMやテレビ・ラジオの主題歌を吹き込む仕事が多かった。結婚を控えていた時期でもあったため「夜明けのスキャット」のシングル化には消極的であったそうである。1曲が歌手の運命を変えてしまうことは多いが、この曲もまさに、いくつかの偶然が必然となって生み出されたのであった。
「酔い覚ましの清涼剤」と呼ばれるほど美しい声質をもつ由紀さおりには、スキャットのみで1番を持たせてしまう説得力があるのだ。その後も川口真作曲の「手紙」や渋谷毅作曲の「生きがい」など、彼女の清涼感を存分に活かした楽曲がリリースされていく。吉田旺=佐藤勝コンビによる「恋文」も、美しい日本語の響きを聴かせるのに十分な魅力を持っていた。
一方で彼女の声質にはほんのりと大人の色香があり、単に綺麗なだけの声ではない。その点に注目して作られたのが、島武実=宇崎竜童コンビの「ふらりふられて」「う・ふ・ふ」、或いは川口真作曲の「トーキョー・バビロン」など77~78年にかけての楽曲だ。吉田拓郎作曲の「ルームライト」も含め、由紀さおりはニュー・ミュージック系ライターからフランシス・レイまで、あまり歌謡曲に提供がない作曲家を起用することが多かった。こういった斬新な発想は、彼女がフォーク、ニュー・ミュージック系アーティストを多く抱えていた東芝・エキスプレス・レーベルの所属だったことが大きいのだろう。また、どんな楽曲でも歌いこなせるシンガーとしての実力を発揮した盤に、81年に発表した『昭和艶唱』がある。タンゴ、スウィング、マンボ、シャンソンなど、戦前~戦後に流行したリズムやジャンル音楽を新たな形で作りあげ、歌で昭和史を聴かせるコンセプト・アルバムで、多彩なリズム表現を軽やかに歌いこなした。また、97年のNHK『紅白歌合戦』で実姉の安田祥子とともに全編スキャットで披露した「トルコ行進曲」でも技巧の極致を聴かせてくれた。
80年代後半からは、実姉の安田祥子とともに童謡コンサートを実施し、童謡ブームの火付け役となったが、前述のピンク・マルティーニとのコラボを契機に再び歌謡曲のフィールドに帰ってきた。キャリア50年を超え、今も新たな展開が期待される名シンガーである。
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