2016年04月12日
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2016年04月12日
カヴァー・ポップスを歌ってデビューした後、大人っぽいムードの歌謡曲の歌い手へと移行して大成功を収めた園まりは、可憐な佇まいで特に男性ファンからの熱い支持を集めた。一時期は歌手活動から遠ざかっていたものの、元気に復帰して今も現役で活躍を続けている。三人娘のコンサートや、最近では久しぶりの映画出演など、ますます活動盛ん。来年はデビュー55周年を迎える。4月12日は、いつまでも若々しく美しい大ヴェテラン歌手・園まりの誕生日である。
昔から芸能界には何かというと3人組で括る風習がある。御三家に三人娘に○○トリオ。三人娘の元祖となった美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみを継ぐ存在だったのが、中尾ミエ・園まり・伊東ゆかりの<渡辺プロ3人娘>であった。同時期に売りだされた3人は映画や舞台で共演したり、揃って出場した1963年の紅白歌合戦でもメドレーが披露されている。テレビのヴァラエティ番組『森永スパーク・ショー』に3人で出演したことから、<スパーク3人娘>とも呼ばれた。先行して「可愛いベビー」をヒットさせていた中尾ミエの人気に肖ったところは否めず、後になって、「ミエさんはコワかった」などと園まりがよく冗談交じりに語るのはその辺りの事情が察せられる。しかしながら、園まりは10歳の頃から児童合唱団に参加し、56年には本名の薗部毬子名義でキングレコードから童謡歌手としてデビューした実績もあり、そこから数えれば実は今年で芸能生活60周年となる。
若さハツラツに輝いていた3人娘の中でも、最もキュートなルックスでファンを魅了した園まりは、62年5月に「鍛冶屋のルンバ」でポリドール(現・ユニバーサル)からデビューした。「マッシュ・ポテト・タイム」や「太陽はひとりぼっち」「グッド・バイ・ジョー」といったカヴァー・ポップスを歌っていた彼女が全国区の人気を得たのは、やはり64年にオリジナルのナンバー「何も云わないで」をヒットさせてからだろう。さらに決定打となったのが、66年初頭から爆発的にヒットした「逢いたくて逢いたくて」である。続けざまに「夢は夜ひらく」や「愛は惜しみなく」といった大人のムードの歌謡曲を連発して大人気を博した。この3曲は日活で映画化もされて自ら主演している。その時共演した渡哲也に恋心を抱きつつも片想いに終わっていたことは、最近の『徹子の部屋』で吐露されていた。
「何も云わないで」に続いて宮川泰が供した「逢いたくて逢いたくて」は、実はその前に事務所の先輩であるザ・ピーナッツが歌っていた「手編みの靴下」という作品を、タイトルと詞とアレンジを一新して出されたものだった。最初のレコーディングはあまりに艶めかし過ぎてNGとなり、録り直したというエピソードがある。それにしてもあの仕上がりであるのだから、オクラ入りになった最初のヴァージョンもぜひ聴いてみたかった。ご本人は“色気”という表現を嫌うが、実際にそう感じられる歌声なのはたしか。ただしそれは限りなく清楚で上品なお色気であり、歌手・園まりの最大の魅力となっている。「逢いたくて逢いたくて」は発売と同時に65年末の紅白歌合戦で披露され、それを見た作曲の宮川泰があまりの素晴らしさに興奮して、本人に奨励の電話をかけてきたという。作詞の岩谷時子、編曲の森岡賢一郎とが三位一体となり、最高の表現者を得て生まれた大傑作なのだ。
名曲「逢いたくて逢いたくて」のレコードのB面がちょっとしたコミック・ソングだったのはご存知だろうか。しかも最高の人気を誇っていた植木等が合いの手を務める豪華なもの。レコード会社の枠を超え、当時の渡辺プロダクションの勢いを物語る一曲。クレージー・キャッツの作品をはじめ、コミカルな作風も得意だった宮川が本領を発揮した「あんたなんか」もA面に劣らぬ傑作である。かの大瀧詠一が提唱していた、シングル盤の理想とされるメロディアス路線とノヴェルティー路線とのカップリングのお手本の様な一枚ではなかろうか。
園まりの本格的な復帰と共に、3人娘が再結成されたのは2004年のこと。翌年からは「3人娘 Again Dream Concert Tour」と題された全国ツアーが開催され、現在も好評のうちに続けられている。コンサートではしきりと自分達の年齢が強調されて笑いを誘うが、実際には半世紀近くを経ても劣るどころか歌声にますます磨きがかかる3人には驚かされるばかり。殊に園まりは、休養期間を取り返す意味もあってか、歌うことへの貪欲さが一番に感じられる。昨年公開された映画『道しるべ』での演技も42年ぶりのブランクを全く感じさせなかった。過去の映画出演作では、シリアスな主演作はもちろんのこと、『クレージー黄金作戦』(67年)や『クレージーメキシコ大作戦』(68年)で魅せたコミカルな味も必見。植木等や谷啓との丁々発止のやり取りが展開された『シャボン玉ホリデー』をはじめ、様々な場で磨かれたコメディエンヌとしての才能も再び発揮していただきたいものである。
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