2016年06月03日

6月3日は“元祖サディスティック・ロックの女王”スージー・クワトロの誕生日

執筆者:東ひさゆき

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最初はてっきりイギリス人かと思っていた。イギリスの有名なプロデューサー、ミッキー・モストが設立したRAKレコードから登場。いきなり全英チャートに「キャン・ザ・キャン」(73年/第1位)や「48クラッシュ」(73年/第3位)、「デイトナ・デモン」(73年/第14位)、「悪魔とドライヴ」(74年/第1位)、「トゥ・ビッグ」(74年/第14位)、「ワイルド・ワン」(74年/第7位)などのヒット曲を送り込んでいたからだ。音楽的にはイギリスで火が付いたグラム・ロックに通じるパワフルなサウンドに特徴があり、レザーのつなぎを着て、挑発的なポーズでベース・ギターをプレイすることもあって、サディスティック・ロックの女王などと命名されたりした。


そんな彼女ではあるが、ウォーカー・ブラザーズやジミ・ヘンドリックスらのように、実際は本国アメリカよりも先にイギリスで人気を博したアーティストのひとりである。1950年6月3日、ミシガン州デトロイトの生まれ。年齢は異なるが、カーティス・メイフィールド(42年)やイアン・ハンター(46年)、デニース・ウィリアムス(51年)らと同じ誕生日である。また、無名時代をデトロイト地区で活動したボブ・シーガーや、16年1月に亡くなった元イーグルスのグレン・フライと同じく、彼女もパンチ・アンドリュースが設立した地元のハイドアウト・レコードから67年にデビュー。当時の彼女はまだスージー・ソウルと名乗り、後に女性ロック・バンドのファニーに加入する姉のパティらと組んだプレジャー・シーカーズの一員として「ネヴァー・ソート・ユード・リーヴ・ミー/ホワット・ア・ウェイ・トゥ・ダイ」を発表する。


その後、グループはクレイドルへと発展するが、その時代のライヴをデトロイトで観た前出のミッキー・モストに認められて渡英。イギリスでの再出発に際し、M・モストはチンチャップとも呼ばれたプロデューサー&ソングライター・コンビのニッキー・チンとマイク・チャップマンと組ませ、一気にイギリス、日本などで人気者となるのだ。ただし、イギリスに比べるとアメリカでの成功は小規模で、やはりチンチャップが手掛けたグループであるスモーキーのクリス・ノーマンとデュエットした「メロウなふたり」(79年/第4位)が成功らしい成功と言えるかもしれない。それでも彼女の存在は早くから女性ロック・バンド、ランナウェイズらに刺激を与えており、同グループからソロに転向したジョーン・ジェットはスージー・クワトロのクローンといった表現をされることがある。


蛇足になるが、彼女はスモーキーやディープ・パープル、クール&ザ・ギャングと89年に崩壊前のソ連をツアー。モスクワやトビリシ、レニングラードなどを回っている。また、スージー・クワトロと言えば、バック・ギタリストのレン・タッキーと77年に結婚した際、日本でも5月26日に麻布プリンスで純和風の披露宴を行ない、日本髪のかつらと打ち掛け姿が小柄な彼女に似合っていたのを思い出す。

サディスティック・ロックの女王

グレイテスト・ヒッツ スージー・クアトロ

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