2016年09月04日

[第15回読者投稿コラム] ヴィレッジ・シンガース バラ色の雲 text by 鈴木一行

執筆者:読者投稿

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

1967年8月1日はヴィレッジ・シンガーズの出世作「バラ色の雲」の発売された日、彼等がメンバーチェンジした3枚目のこの曲で堀プロの看板GSになりました。


しかし、もう一つ重要なのはあの大ヒットメーカー、筒美京平の出世作でもあります。筒美京平は66年、藤浩一(後の子門真人)「黄色いレモン」で作曲家デビュー、67年弘田三枝子「渚のうわさ」のスマッシュヒットはあったものの筒美の名が一般的に知られるようになったのはこの「バラ色の雲」で間違いないでしょう。


もしこのヒットがなければあの大作曲家は誕生しなかった???

まぁ、あれだけの実力者なのでいつかは大ヒットを生んだとは思いますがこの曲がキーポイントになったのは間違いありません。「バラ色の雲」の初ヒット後、68年12 月発売いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」がオリコン1位獲得、71号3月発売尾崎紀世彦「また逢う日まで」でレコード大賞受賞、ここから筒美ワールドの快進撃が始まるのは皆さんの知るところです。


この曲をヒットさせたヴィレッジ・シンガーズですがこれがデビュー曲だと思っている人が多いですが実はシングルの3枚目、まさに背水の陣でいどんだ曲でした。

66年10月リードギター小松久作曲「暗い砂浜」でデビュー、同時期にワイルド・ワンズが「想い出の渚」でデビューし大ヒットしましたが、ヴィレッジのデビュー曲は売れずセカンドシングル佐々木勉の作品「君を求めて」を発売するもヒットに至らず、この3枚目が勝負曲。


この曲が売れなければ最後というところで筒美、橋本淳を起用した作品でした。

ところが12弦ギター担当の南里孝夫、ベース担当の森おさむが脱退…。ギター小松久とドラム林ゆたかの二人だけになってしまい最大の解散危機でしたが新メンバーで再スタートする決断を下しました。

ベーシストは明治大出身の笹井一臣、キーボードには成蹊大の小池哲夫、リードボーカルとサイドギターに小松の成城大の後輩、清水道夫を迎え陣営が揃いました。


「バラ色の雲」は旧メンバーで歌入れも終わっていましたが時間的余裕がないのか、オケはそのままのキーで清水が歌いましたが彼の為に用意したかの様にピッタリはまり、これもヒットした一つの要因と思われます。


旧メンバーの録音が存在するはずなので是非一度聴いてみたいものです。

森岡賢一郎アレンジのストリングスが躍動するイントロで始まるこの曲が発売されついに新メンバーで60万枚を売り上げる大ヒットとなります。

ディレクターはCBSコロムビア邦楽部門、泉良明。彼はブルー・コメッツの担当でもありメンバーもブルコサウンドを要望、このヒット後、「好きだから」そして平成にもリバイバル大ヒットした「亜麻色の髪の乙女」を発表し大ヒット。


彼等の活躍は他にもスパイダースには及ばないにしてもタイガースと並び主演映画を3本主役を務めます。


CBSソニー発足に伴いレコード会社を移籍、ソニーに移ってからは歌謡曲路線が続き、マンネリ化は否めない気がします。

コロムビア時代には勢いがあり歌謡曲寄りのGSと言われたこともありましたが「亜麻色の髪の乙女」以外のA面は筒美作品であり、ビート感は有りました。ソニー時代に筒美作品が1曲も無いのは残念です。


GS解散後のメンバーですが小松久はディレクターとして「TUBE」「ZARD」を成功させ、清水道夫も演歌系ディレクターで「細川たかし」「冠二郎」等を担当、小池哲夫はCM制作会社を設立、林ゆたかはライブハウス「KENTOS」を成功させ現在ライブハウス「アビーロード」を経営、笹井一臣もディレクターとして「麻丘めぐみ」「岩崎宏美」等を発掘成功し現在は音楽映像制作会社を経営しています。筒美作品と共にその後も音楽業界を今でも支えています。

DREAM PRICE 1000 ヴィレッジ・シンガーズ バラ色の雲

  • コロムビア・ガールズ伝説

関連記事

  • ツイート

Pagetop ↑

コラム一覧

一覧

音楽ジャンル

カテゴリー

執筆者一覧

一覧

SNS