2015年08月17日
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2015年08月17日
今日8月17日は清水道夫の70歳の誕生日…と言っても、60歳未満の世代からは「清水道夫って誰?」とツッコミを入れられそうなので、まずは簡単なプロフィールを紹介しておこう。清水道夫は1945年8月17日生まれ。成城大学4年生の時にヴィレッジ・シンガーズに加入し、リード・ヴォーカルとサイド・ギター担当として「バラ色の雲」「好きだから」「亜麻色の髪の乙女」「虹の中のレモン」「思い出の指環」「落葉とくちづけ」等のヒットを放った他、松竹に主演映画を3本も残している。ちなみにGSの主演映画本数ランキングでは、5本の主演映画を誇るザ・スパイダースに次いでヴィレッジ・シンガーズは2位。ザ・タイガースとタイである。71年にヴィレッジ・シンガーズ解散後はソロ歌手として活動していたが75年に引退し、ヴィレッジ・シンガーズの所属レコード会社でもあった日本コロムビアに入社。レコード・ディレクターに転身して、細川たかしや冠二郎などの制作に長らく携わった後に定年退職している。
「亜麻色の髪の乙女」が島谷ひとみのカヴァー盤によってリバイバル・ヒットした2002年に、「元ヴィレッジ・シンガーズの清水道夫」を名乗る男が長野県で開催されたカラオケ大会の審査委員長を務め歌まで披露したという事件が起きて話題を呼んだが、ニセモノが登場するほどに清水はヴィレッジ・シンガーズの“顔”として世間一般に認知され、ステージでも芸能誌のグラビアでも常にセンターに位置するグループの中心人物だった。しかし、厳密にいうと彼はヴィレッジ・シンガーズのオリジナル・メンバーではなく、グループ再編時から加入した3人の新メンバーのひとりだったのである。
ヴィレッジ・シンガーズの母体となったのは、1965年に成城大学の学生4人(南里孝夫・小松久・森おさむ・山岩爽子)で結成されたフォーク・トレッカーズ。グループ名からもわかるように、65年のエレキ・ブーム時に大学のキャンパスを中心に静かなブームとなっていたキングストン・トリオ、ブラザース・フォー、ピーター・ポール&マリー(PPM)等アメリカン・モダン・フォークに影響されて誕生したフォーク・グループだった。65年暮れに南里がニュー・フォーク・シンガーズ、山岩がPPMフォロワーズ(リーダーは小室等)に参加するためにフォーク・トレッカーズは解散するが、ニュー・フォーク・シンガーズがすぐに解散してしまったため、南里(12弦ギター、バンジョー)は小松(リード・ギター)、森(ベース)と共にカントリー系フォーク・グループを結成。カントリーの大御所・寺本圭一の経営するスナックのハウス・バンドとして活動を始めるのである。
66年6月、林ゆたか(ドラムス)、古関正裕(オルガン/作曲家・古関裕而の長男)を加え5人編成となった彼らは、フォークの聖地グリニッチ・ヴィレッジにちなみ「ヴィレッジ・シンガーズ」と名乗りホリプロと契約。寺本圭一がプロデュースと作詞を手がけ、小松久が作曲した「「暗い砂浜」で、66年10月に日本コロムビアのCBSレーベルからレコード・デビューした(デビュー直前に古関が脱退、4人編成となっている)。その楽器編成が物語るようにヴィレッジ・シンガーズは、当時アメリカン・ポップス・シーンのトレンドだったフォーク・ロックの影響下にあり、デビュー曲も12弦エレキ・ギターをフィーチャーしたフォーク・ロック調の作品である。当初東芝レコードにデモテープを持ち込んだものの断られ、次に持ち込んだCBSレーベルからOKが貰えたのも、当時CBSがザ・バーズやボブ・ディラン等フォーク・ロックの旗手と呼ばれるアーティストを抱えていたことと無関係ではないだろう。
面白いことにヴィレッジ・シンガーズをソデにした東芝から「想い出の渚」でほぼ同時期にデビューしたザ・ワイルド・ワンズも、「ザ・バーズ+ママス&パパス+ザ・ビートルズ」をコンセプトとして結成されたフォーク・ロック系グループだった。また、アマチュア時代エレキ・インスト・バンドだったザ・サベージは、プロ転向と共にヴォーカル&インストゥルメンタル・バンドに転身。フォーク・ロック調の「いつまでもいつまでも」で66年8月にデビューしている。翌年には「グループ・サウンズ(GS)」という名でカテゴライズされるこの3グループが揃ってフォーク・ロックをキーワードにデビューを飾っているところがなんとも興味深い。
1966年という年は、マイク真木「バラが咲いた」、ザ・ブロードサイド・フォー「若者たち」の大ヒットが引き鉄となって、それまで大学生の間だけで人気を集めていたフォークソングが一気に大衆的なものとなり、第一次フォーク・ブームが巻き起こった年である。一方でビートルズ来日を機に、前年のエレキ・ブームで全国に誕生したエレキ・バンドたちがフォークやビートルズの要素も吸収して新しいビート・グループへと変身し、翌年にはグループ・サウンズ(GS)として脚光を浴びる前段階が形成された時期でもある。前述の3グループのデビューは、まさにそんな時代背景を反映した歴史的必然でもあり、ザ・スパイダースやブルー・コメッツと共にGSの原型を作る大役を担ったのである。
「暗い砂浜」は残念ながら不発に終わり、続く2ndシングル「君を求めて」(67年2月)は、ザ・サベージの「いつまでもいつまでも」のヒットで定評のあった佐々木勉の作品だったがヒットまでに至らなかった。失意の内に南里と森が脱退。残った小松と林は新たなメンバーを探してバンドを立て直すことに。やがて成城大学の軽音楽部でビートルズ・ナンバー等を歌っていた清水、高校生の頃アマチュア時代のサベージのメンバーでもあった成蹊大生・小池哲夫(オルガン)、グループ最年長で明治大在学中からキャバレーやダンスホールでバンド活動を続けていた笹井一臣(ベース)といった顔ぶれが集まり新生ヴィレッジ・シンガーズがスタート。67年8月「バラ色の雲」で再デビュー以後、橋本淳(作詞)&筒美京平(作曲)、もしくは橋本淳(作詞)&すぎやまこういち(作曲)という黄金コンビの作品で次々とヒットを放っていくのである。この全盛期のヴィレッジ・シンガーズについてはまた次の機会に…。
さて、前述の「ニセ清水道夫事件」がマスコミで大きく報道されたことがきっかけとなって、数十年ぶりに全盛期メンバーで再結成されたヴィレッジ・シンガーズがNHK『思い出のメロディー』に出演。以後、ライヴ活動を再開する。2003年には再レコーディング・ヴァージョンの「亜麻色の髪の乙女」「バラ色の雲」をカップリングしたCDシングル、2009年には再結成後初のオリジナル楽曲「この花」「僕たちに乾杯」をカップリングしたCDシングルをそれぞれリリースしている。彼らのオフィシャル・ウェブサイトもあるので、全盛期メンバーが健在な数少ないGSのひとつであるヴィレッジ・シンガーズの現在に往年のファンの皆様はぜひ御注目を!
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