2016年09月06日
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2016年09月06日
本日9月6日は大江千里の誕生日。1960年生まれ、56歳になる。
1983年5月21日、「ワラビーぬぎすてて」『WAKU WAKU』で、関西学院在学中にデビュー。東京と大阪を行ったり来たりし、「日本一忙しい大学生」だった。東のユーミン、西の”男ユーミン”と呼ばれ、元祖メガネ男子でもあった。
当時、EPICソニーでは、小坂三兄弟と呼ばれるポップミュージシャンが次々とデビューした。プロデューサー小坂洋二さんが発掘した佐野元春が一期生で、1980年にデビュー。そのあとに、大江千里(1983年5月)、小室哲哉を含むTMネットワーク(1984年4月)、岡村靖幸(1986年12月)の三人が続く。妹分として、彼らが楽曲提供していく渡辺美里(1985年5月)。彼らはEPICソにーの黄金時代を作った。
同じ頃、私は「月刊カドカワ」編集部にいた。女性向けの文芸誌だったこの雑誌は、”憂鬱じゃなければ仕事じゃない”という見城(徹)さんが編集長になった1985年11月号を機に音楽誌へと変身していく。レコード盤がCDになっていった頃。カバーはユーミンを始めとする女性ミュージシャンの特集で数千部の文芸誌から4桁のカルチャー誌にはなっていた。
男がカバーってどうだろう? そこで白羽の矢が立ったのが大江千里だった。大江千里はベストアルバム『Sloppy Joe』を1989年3月に、8枚目のアルバム『redmonkey yellowfish』を10月に発売し、連載「レッドモンキー・モノローグ」が「月カド」で始まったばかりだった。ポップで、繊細で、元気で、男臭くない。1990年2月号、初めての男性カバー「総力特集大江千里 オトコの気持ち」が店頭に並ぶ。彼の周りにいたスタッフもみな若く、軽音部そのままの感じで、取材が終わると大江千里が自分のGOLFにスタッフを乗せ、自ら運転をして帰って行った。メガネをとるとのび太顔の下に、実は大阪人コテコテのノリと熱きマグマがあったことを知る。とにかく、過剰な人だった。ライブでも、しゃべる、走る、踊る、仮装する。そして、この号はほぼ完売する。そこから「月カド」は男性ミュージシャンの特集がスタートしていく。大江千里は1990年9月発売の『アポロ』のアルバムでオリコンチャート1位になる。「月カド」も一緒に部数を伸ばし、小説もある音楽カルチャー誌として10万部を超すまでになっていった。2003年にiTunes Store、2012年11月Kindle Storeがオーブンし、音楽も雑誌も「モノ」から「体験」へと変わっていく。
2016年9月6日、大江千里は56歳の誕生日、東京JAZZに出演する来日ミュージシャンとして日本にいる。2008年1月、47歳の時に今までのキャリアを捨て、ジャズの音楽大学ニュースクールの学生になるため、愛犬ぴーすと共にNYへ渡った。ブラッド・メルドー、ロバート・グラスパーらを輩出したニュースクールは、ボストンのバークリー音楽大学、マンハッタンのジュリアード音楽学院と並ぶジャズの名門校。世界各国からジャズを志す若者たちが集まる。レベルテストに遅刻し、20代のクラスメイトに「ジャズができていない人がいる」と言われ、猛練習すれば肩を壊し、スラングについていけず、アンサンブルのオーディションに落ちまくり、ジャズが全くできていない自分と直面する。まるで「男のだめ」だった。しかし、レジェンド達の音を聴き、仲間たちに励まされ、「作曲」というところで、一筋の光を見いだす。劣等生だった彼は、4年半かけて拍手喝采で卒業する。ニュースクールを卒業しても、音楽の仕事につく人は3%と言われる中、自分のレーベルを立ち上げ、NYのみならず、サンフランシスコ、アムス、ホノルルへ出かけライブを行い、オリジナル・ジャズアルバムを作り出した。そのあたりのことは『9番目の音を探して 47歳からの二ューヨークジャズ留学』(KADOKAW刊)に詳しく書かれている。
2016年9月7日年、4枚目のオリジナル・ジャズアルバム『answer july』
の日本盤が発売される。今回は、すべて歌モノ。この中の「tiny snow」を歌うシーラ・ジョーダン(87歳)は彼にこう声をかける。「これでいいいかしら? マイリトルボーイ」56歳なんて、まだまだヒヨッコなのだ。
愛犬・ぴーすと「ブルックリンでジャズを耕す」大江千里の現在進行形は、ニコニコチャンネルとnoteで読むことができる。動画も撮れば、料理もし、エッセイも書いて写真も撮る。過剰さは変わらない。きっと80歳になってもこうなんだろうな。
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