2018年09月26日
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2018年09月26日
木根尚登は1957年9月26日生まれ。今年(2018年)で61歳。試しにウィキペディアを覗いてみたら、兄と弟が1人ずついる、となっていたが、弟ではなく妹の間違いである。
22歳のとき、SPEEDWAYでデビューするも、ヒット曲に恵まれなかった。1984年、小室哲哉と宇都宮隆とTM NETWORKでデビュー。87年の「Self Control」や「Get Wild」のヒットで活動が軌道にのった。
1992年、シングル「泣かないで」でソロ・デビュー。現在までに約20枚のシングルと約20枚のアルバム(ミニアルバムとセルフカバーアルバムを含む)をリリース。そのうちの1作、アルバム『中央線』(2010年)のプロデュースを担当させてもらったのがいい思い出だ。
「弾き語りフォークアルバム」が制作前から柱の1本だった。もう1本の柱が「青春時代を唄う」。そこで木根の青春時代をインタビューすることから始めた。それまでもTMの取材などをとおし、20年以上のつきあいがあったから、おおよそのことは把握しているつもりだったが、改めて掘り起こすと、笑えるエピソードやほっこりする情景をいくつも摘み取ることができた。さらに立川生まれの木根の、青春の断片は、中央線沿線に散らばっていることも判明。となると、曲よりも先にアルバム・タイトルが決まった。もちろん中央線だ。
「フォークは作詞から」と、暗黙の了解があり、僕の作詞が先行した。中央線の各駅にまつわる木根のエピソードをもとに、実話とフィクションをおりまぜながら、歌詞を書いた。「四ツ谷ロマン」は吉田拓郎の「高円寺」の木根版だ。その歌詞を前にした木根は、おもむろにギターを抱えると、「高円寺」を彷彿とさせるストロークで唄い出した。また、70年代のフォークのアルバムには、なぜかコミックソングのような、おかしな1曲が入っていた印象があったので、TMデビューのきっかけになったコンテストの楽屋風景などを交えて「中野グラフィティ」を書いた。こちらも言わずもがな、スリーフィンガーで軽妙に早口で語るように唄った。
ピアノの弾き語り「阿佐ヶ谷小春日和」は、その5年ほど前に亡くなられた二人の恩師に捧げた曲だ。その方はラジオ業界や音楽業界では名のとおったプロデューサーだった。ラジオ業界から身を引き、舞台の制作を始められた頃、「芝居の台本を書かないか」と何度も誘っていただいたが…。毎回、うやむやな返事しかしなかった僕。あのとき、書いていればと、悔やむこともある。
「フォークのアルバムには語りの曲もあった」。木根の提案で書いたのが「高円寺を紡ぐ」だ。海援隊の「母に捧げるバラード」や吉田拓郎の「長い雨の後に」のような、語りや朗読をメインにした。
そんな『中央線』が完成してほどなくした頃だった。木根が嬉しそうに言った。「アルフィーの坂崎(幸之助)さんが聴いてくれたみたいで、本物のフォークシンガーになったね、と言ってくれた」と。これはあくまでも伝聞だ。事実か否かわからない。坂崎幸之助こそ日本一のフォーク少年だから、少しでも認めてもらえたら光栄だが、「そんなこと言ったっけ?」と言われたら、心がやんわりと折れそうだ(笑)。いや、この僕だけが知っている噂は僕だけのなかに仕舞っておきたいから、お会いする機会があっても、僕はこれからもきっと確かめたりしないだろう。
TM NETWORK「Self Control」「Get Wild」木根尚登「泣かないで」『中央線』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
≪著者略歴≫
藤井徹貫(ふじい・てっかん):1959年7月11日、山口県下関市生まれ。25歳から音楽の記事を書くようになる。『TMN 最後の嘘』『清木場俊介 ロックじゃろうが!』『access オデッセイ』『TUBE 終わらない夏』など、著書多数。2000年代からは、故・三国連太郎、樹木希林など俳優のインタビューも行っている。
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