2017年11月27日
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2017年11月27日
11月27日は日本の音楽シーンに一時代を築いた音楽家、小室哲哉が生まれた日。
小室哲哉がプロとして音楽シーンにデビューしたのは1975年前後だという。それが事実だとすると1958年生まれの小室は高校在学中か、大学生になったばかりだったことになるが、意外なことにそのスタートは表舞台に立つミュージシャンとしてではなく、当時、人気があった原田真二や角松敏生といったミュージシャンのバックバンドやスタジオ・ミュージシャンとしての活動だったらしい。
私が小室を初めて観たのは、新宿駅の東口にあった新宿ルイードというライブハウスで、確か1982年頃だった。今、彼のプロフィールを確認してみると、その頃にはすでにいくつかのバンドを作っては解散させるということを繰り返していたらしいが、洋楽雑誌の編集部にいた私はまだ小室哲哉の名前を知らなかった。
新宿ルイードのその夜の出演バンドはSPEEDWAY。軽快なアメリカンロックを得意とするバンドで、小室はそこでキーボードを担当していた。ライブの途中までステージの端で静かにキーボードを弾いていた彼は長髪のもの静かな美少年という佇まいだったが、ソロパートが始まるとその印象はガラッと変わった。華奢な体のどこにそんな力があるのかと驚く程の激しいパフォーマンスで、キーボードを揺さぶりながら演奏する様子はキース・エマーソン張りの迫力。彼はたった一度のパフォーマンスで、その後何年たっても忘れられないような強烈な印象を私に残した。
そして、数年後の1984年、小室哲哉はTM NETWORKを結成してEPICソニーからメジャーデビューした。メンバーはSPEEDWAYに在籍していた木根尚登 と宇都宮隆。けれどその音楽性はSPEEDWAYとは全く違い、シンセサイザーを多用したものだったし、ビジュアルもカジュアルの真逆ともいえるような計算されたものだった。新宿ロフトではサラサラのロングヘア―だった小室が、いきなり当時のロンドンの音楽シーンで流行っていたソフトドレッド風のヘアーでジャケット写真に納まっているのを見た時は本当にびっくりした。
後年、『小室哲哉ビジュアルブックVIS-AGE』を作った時に、このデビュー当時の興味深い話を彼から聞かせてもらった。小室は新しいバンドの構想を固めてTM NETWORKの楽曲を作ってから、ほぼ完璧といえるくらいのクオリティーのデモテープを作り上げた。そしてTMのイメージが伝わる写真を添えて一斉に各レコード会社に送ったのだそうだ。それから数日間、彼は密かな自信を持ってその反応を待っていたのだが、やがて彼の思惑通りテープを聴いた全ての会社から「すぐに会いたい」という連絡がきたのだという。このエピソードからも判るように小室哲哉という音楽家は、常に冷静で、自分の才能を誰よりも理解しているプロデューサーであり、ミュージシャンなのだ。
「プロのミュージシャンにとってはまず売れることが重要で、好きな音楽が出来るようになるためにもまずは売れる音楽を作らないとダメだと思うんです」という小室哲哉の言葉があるが、彼はこの考えを実行し、実現した音楽家だと思う。
小室哲哉が作詞、作曲、プロデュースしてヒットさせた曲は1つ1つ名前を挙げることが困難なほどの膨大な数で、そのリストを見ると彼の才能と勢いにため息をつきたくなるほどだ。初期の渡辺美里や篠原涼子に始まって、エイベックスと組んでからの、いわゆる小室ファミリーと呼ばれた安室奈美恵、華原朋美、TRF、globe等々。80年代後半から90年代を通して彼の曲がテレビやラジオで流れない日は一日もなかったに違いない。オリコンヒットチャートのトップ5を独占したことさえあったというのだから。
皆さんもご存じのように、その後、彼の人生には紆余曲折があったが、最近の彼はまたこれまでとは違うスタンスで才能を開花させているように見える。ベトナム訪問中の天皇皇后両陛下の前で現地の盲学校の生徒たちと共に演奏したり、中国・上海での音楽的貢献が認められて特別貢献賞を授与されたり、彼の活動はますますグローバルになっているようにみえる。
今日、50代最後の誕生日を迎えた小室哲哉。きっとこれからも尽きない才能で、私たちを感動させてくれる音楽を届けてくれることだろう。
≪著者略歴≫
榎本幸子(えのもと・さちこ):音楽雑誌「ミュージック・ライフ」「ロック・ショウ」などの編集記者を経てフリーエディター&ライターになる。編著として氷室京介ファンジン「KING SWING」、小室哲哉ビジュアルブック「Vis-Age」等、多数。
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