2016年11月13日

「りりィが逝った」

執筆者:寺本幸司

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「りりィが逝った。」

覚悟は出来ていたつもりだったが、呆然としている。

訃報を聞いたあと、昼過ぎから、献杯のつもりで、ワインを飲んだりしているのだが少しも酔わない。


5日の朝、りりィから「有難う/(^o^)\見つけてくれて有難う‼️/(^o^)\また、どこかでね/(^o^)\」というFBメッセージが入った。

動揺して、すぐさま「どうしたんだ!」と返信したら「もう、そろそろだって、わかるのよ」という返信が来た。

半年間も鹿児島のオンコロジーがん治療院でがんと格闘して、肺から肝臓に転移して、その上、肺炎を患い、酸素ボンベがないと呼吸も出来なくなって、千葉鴨川の亀田病院に帰還した、りりィと、同時期にデビューしたりりィと双子のような付き合いをしてきた、わが妻(さい)「澤チエ」と、会いに行くから、と約束をした。


チエの店の都合があるから、ほんとうは、明日12日(土)に行くつもりだったが、虫の知らせか、チエが8日火曜日に行きたいということになって、8日、東京駅前午後0時35分発の亀田病院行き高速バスで、鴨川に向かった。

りりィは、ほうぼうに居住したが、鴨川がいちばん好き、と言っていた、亀田病院タワーの海の見える個室にいた。


もう、激しいがん治療で、カラダは半分ほどになっていたが、最愛のパートナー斎藤洋士と愛息 ジョンジョン(樹音)と妻 美和ちゃんと鴨川の女友だちに囲まれて、何だか、りりィは、見たことのない、幸せで安らかな顔をしていた。

洋士からシェアした、ジョンジョン宛の遺言メールを見せてもらった。

そこには、「お葬式はしないで。鎌田の墓には入れないで。できたら、鴨川の海に散骨をして。お別れの会なんてやってくれるのだったら、賑やかにバンド仲間を呼んで、やってね。たぶん、わたしもそこで歌うから」と、あった。

秋空の下、波の打ち寄せる鴨川の海を見て、りりィの遺言メールを辿っていきながら、不覚にも涙がこぼれた。


浅川マキ67歳、桑名正博59歳、りりィ63歳。

おれを見送ってくれる約束をした3人とも、おれを置いて、おれよりはるかに若く逝ってしまった。

いま、時間の止まった現実の奈落で、3本目のワインを開けようとしている。

(寺本さんの許可を得て、FBより転載させていただきました)

≪著者略歴≫

寺本幸司(てらもと・ゆきじ): 音楽プロデューサー等。浅川マキ、桑名正博、りりィ、南正人など、多くのアーティストを手がける。りりィは1972年、寺本氏のプロデュースにより、『たまねぎ』でデビューした。

たまねぎ(紙ジャケット仕様) りりィ

リリィ+洋士 2013 りりィ

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