2016年11月11日
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2016年11月11日
テレビの黄金時代にお茶の間の人気を席巻したハナ肇とクレイジー・キャッツでピアノを弾いていたメンバーが桜井センリ。もともとは一時病気療養した石橋エータローのピンチヒッターとして参入したがそのままメンバーに留まり、後には俳優としても大いに活躍し、『男はつらいよ』をはじめ数々の映画に欠かせない名バイプレイヤーとしてその名を馳せた。飄々として惚けた役が多い中にもどこかインテリジェンス溢れる雰囲気や所作は、イギリス生まれの帰国子女であったせいか。独特のポジションで絶妙な存在感を放っていたミュージシャン&コメディアンの桜井センリが86歳で世を去ったのは今から4年前、2012年11月11日に自宅で死亡していたのを発見されている。
本名は桜井センリ。桜井ヘンリーという説もある。氏を語る前にまず年齢のことに触れておかねばならないだろう。公称では1930年生まれとされていたが、実際は1926年3月20日、つまり大正15年生まれで、同年12月生まれの植木等よりも早く生まれており、実はクレイジー・キャッツの最年長者だったわけである。メンバーから一様に“さん”付けで呼ばれていたというのも頷ける。早稲田大学在学中にジャズピアニストとしてのキャリアをスタートさせ、いくつかのバンドを渡り歩いた後に、フランキー堺とシティ・スリッカーズに参加。その時のメンバーだった植木等、谷啓とは既にここで出会っている。1年程の活動の後に脱退して加入したのが三木鶏郎の冗談工房で、その際の芸名・三木雛郎が、後のコントの際に使われた女形のキャラクター名、ヒナ子さんに活かされることとなる。
そして60年、結核で療養することになった石橋エータローの代役として、クレイジー・キャッツに参加する。約1年後に石橋が復帰した際にも、ハナの英断で残留が決まり、クレイジーは異例のピアニスト2人体制になってコントにも連弾のスタイルが活かされてゆく。クレイジーの数あるヒット曲では、植木等や谷啓がメインの楽曲がほとんどだが、桜井の歌声がしっかり聴けるナンバーに、メンバー全員が交代で歌う「悲しきわがこころ」や、植木、谷と共にメイン・ヴォーカルをとった「全国縦断追っかけのブルース」がある。“生きるって耐えることなのね”の台詞が印象的な後者は、宮川泰が供したムード・コーラスのパロディ。グループとしては後期の作品ながら傑作の部類に属する。歌では純然たるソロのレコードは無かったものの、キンチョールのCMが人気を博し、「ルーチョンキ」「あたしって駄目ねえ」という流行語を生み出した後には、『センリばあさんのクレイジー大変記』(66年)というNET(現・テレビ朝日)の公開コメディで初主演を果たしている。
俳優としては、主役を演じたドラマもある。「仙人部落」や「ヒゲとボイン」で知られる小島功の漫画が原作の「あひるヶ丘77」(69年)がそれで、2DKの団地に住む夫婦の日常が描かれたコメディドラマ。妻役に広瀬みさ、一人息子を演じた子役の下沢広之は、後の真田広之である。安田伸、石橋エータローも出演しており、主題歌は「スーダラ節」など一連のクレイジーソングを手がけた萩原哲晶が作曲し、桜井と広瀬が一緒に歌った。残念ながら音盤化はされていないが、以前ビデオとLDで発売された『東映テレビドラマ主題歌大全集』に収録されたことがある。ほか、作曲仕事の代表作はスリー・ファンキーズに供した「ナカナカ見つからない」(62年)だろう。作詞は青島幸男だった。同じく青島が作詞し、東芝レコードから出された弘田三枝子「明日をみつめて/そっと一人に」は翌63年の作。さらに63年に出されたフォノシート『植木等と上原ゆかりの童謡集 パパといっしょに』の1曲「いぢめっ子が泣いている」も桜井が作曲を手がけた作品である。作詞は青島の弟子・河野洋。個人の音楽活動の際にも周りには常にクレイジー・キャッツの良き仲間たちがいた。
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