2016年11月14日

パチンコといえば憂歌団、そして木村充揮の絶叫によって日本語のブルースは幕をあけた

執筆者:小川真一

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11月14日は「パチンコの日」だそうだ。何故この日がパチンコの日であるのか、といった話はさておいて、<パチンコ>と聞いて真っ先に思い出すのが憂歌団だ。


憂歌団の「パチンコ」を最初に聴いた時には、大袈裟じゃなく椅子から転げ落ちた。こんな衝撃的な体験は初めてだったのだ。シャッフルの前奏が始まり、その心地の良いスウィング・ビートに乗っていると、唐突に飛び出してくるのが「パチンコ、パチンコ」のシャウト。歌っているのは勿論、憂歌団のヴォーカリスト木村充揮(当時は秀勝)。それまでとは形相が一転、こめかみに血管を浮きだたせながら大絶叫を繰り返す。これに驚かない人はいないだろう。


初期の憂歌団の代名詞のようになったのが、この「パチンコ」なのだが、作詞作曲は木村充揮。「仕事が終わってパチンコに行く、たのしいな」。まったくそれだけの歌詞なのだが、それでいてしっかりとブルースになっているところは流石だ。


この曲をデビュー作だと思っている方も少なくないかと思うのだが、憂歌団のシングルとしては3枚目(76年9月発売)となる。デビュー曲の「おそうじオバチャン」は、歌詞の過激さから放送禁止になってしまう。その次に出した「たくわん」は名曲ながらもインパクトに欠けていたこともあり、憂歌団の名を世間に知らしめたのが、この「パチンコ」になるのだ。そして、これこそが日本語のブルースの夜明けでもあった。


憂歌団との出会いについては、かつて「初めて憂歌団を見た日のこと…」として書かせてもらったことがあるが、憂歌団は70年代の初頭に木村充揮と内田勘太郎の二人によって結成された。最初はこの二人だけでカントリー・ブルースのカヴァーなどをおこなっていたのだが、そこに、花岡献治と島田和夫が加入し、皆さんご存じの憂歌団が出来上がった。


才能のある四人が集まったとはいえ、木村充揮のヴォーカルを抜きにしては成り立たなかったのは言うまでもない。その後、<天使のダミ声>という称号を得ているが、まさにブルースを歌うために生まれてきたような声だ。声質だけでなく、その衝動性においても、まったくのブルース。日本人はシャウトが苦手なのだが、心の底から絶叫の出来る数少ない歌い手の一人が木村充揮だ。その声の魅力は、未だに萎えることがない。


その木村の天分が300%発揮されたのが、76年の「パチンコ」である。もし、11月14日の「パチンコの日」に、全国のパチンコ店から一斉に木村充揮の声が流れたとしたら、さぞかし痛快であろう。そんなことを夢想してしまった。


≪著者略歴≫

小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり。

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