2016年11月18日
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2016年11月18日
東京・代々木上原の駅からほど近く、古賀が1932年から住居を置いた場所は、現在“古賀政男音楽博物館”として、JASRAC(=日本音楽著作権協会)が本部を構え、音楽会やシンポジウムが開催される“けやきホール”を擁する瀟洒な建物が聳えている。ここには財団法人・古賀政男音楽文化振興財団が存在するほか、誕生の地である福岡県大川市には“古賀政男記念館”もあり、我が国を代表する作曲家であることが窺われる。戦前から連なる作品群には、「酒は涙か溜息か」「影を慕いて」「人生の並木路」「湯の町エレジー」「悲しい酒」といった哀愁溢れるメロディから、「丘を越えて」「緑の地平線」「東京ラプソディ」などの明朗な旋律、さらには「ああそれなのに」「うちの女房にゃ髭がある」などリズミカルでユニークなものまで、バラエティに富んだヒット曲が数え切れない程に存在するのだ。
流行歌のヒット作家として最も脂の乗っていたのは1930~50年代であろうが、その後も大作曲家としての健在ぶりを証明したのが、歌謡界の女王・美空ひばりがようやく栄冠を手にした1965年の日本レコード大賞受賞曲「柔」と、元々は北見沢惇という歌手に提供された曲の再生としてひばりが大ヒットさせた「悲しい酒」だった。ちょうどその頃から巻き起こった懐メロブームも手伝って、古賀政男の名は再び盛んに巷を賑わすこととなるのだが、その前に古賀を国民的作曲家という位置づけに押し上げた大きな波がある。それがアジア初の開催となった1964年のオリンピック東京大会を記念して作られた「東京五輪音頭」である。東京オリンピックの音楽では、開会式の選手団入場の際に演奏された「オリンピック・マーチ」(作曲: 古関裕而 )をはじめ、歌ものでは組織大会が選定した「この日のために」(作曲:福井文彦)、NHK制作による「海をこえて友よきたれ」(作曲:飯田三郎)などもあるが、やはりなんといっても「東京五輪音頭」がダントツの知名度を誇る。
レコード会社各社の競作となった「東京五輪音頭」はオリンピック開催前年の1963年の6月23日(オリンピックデー=IOCの創設記念日)に発表され、各社から一斉にシングル盤が発売された。会社の歴史順に並べると、コロムビアは北島三郎・畠山みどりの共唱、ビクターはつくば兄弟・神楽坂浮子盤と、橋幸夫盤の2種、キングは三橋美智也、テイチクは三波春夫、ポリドールは大木伸夫・司富子、最も新興の東芝が坂本九という布陣。面白いのは橋幸夫盤と坂本九盤を除くすべてのシングル盤が、同じNHK制定による「海をこえて友よ来たれ」などをA面とし、「東京五輪音頭」はB面扱いが多かった点である。もっともキングとテイチクに関しては、「東京五輪音頭」をA面とした後刷りのジャケットが存在するのであるが。ちなみにフォノシートでは、古賀と縁の深い藤山一郎が歌ったソノレコード盤、菅原洋一の歌による朝日ソノラマ盤(ただし非売品のプロモシート)も出された。その中でダントツの売り上げを示したテイチクの三波春夫がいつしかオリジナル歌手の様な形になってゆくも、楽曲発表の際の歌唱者は三橋美智也であり、古賀も三橋の歌唱を想定して作曲したのだという。しかし、イベントの成功を願い、日本の戦後の復興をアピールしながら宣伝活動にも余念がなかった三波の努力が報われる結果となった。
実は古賀には、オリンピックがらみでもう一つ作品がある。64年3月にコロムビアから発売された「ニッポン音頭」がそれで、島倉千代子、北原謙二、花村菊江らオールスターによる歌唱。戦後最大の祭典を半年後に控えての国民総踊りを推奨する歓喜の様子が歌い込まれた賑々しい音頭は、コンビ作も多い西條八十の作詞であった。なお、「東京五輪音頭」はそのままのタイトルで映画化され、オリンピック直前の9月に日活で公開された。三波春夫も寿司屋の大将と三波本人の役で出演しており、劇中で歌を披露する。また、映画では、同年6月の東宝映画『日本一のホラ吹き男』で植木等が「東京五輪音頭」を躍動感たっぷりに歌い踊るシーンがあり、必見である。今、2020年の新たな東京オリンピックが近づいて来るにつれ、国民的作曲家・古賀政男が生んだ「東京五輪音頭」への需要もますます高まってゆくに違いない。
≪著者略歴≫
鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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