2015年07月06日
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2015年07月06日
ミノルフォンはその名のごとく、初期作品は全て遠藤が作曲を手がけるという徹底ぶりで、さらなる特色としては、楽曲と共にカラオケが収録されていたこと。まだカラオケという概念はなく、ジャケットには“聴いて楽しい歌って楽しい伴奏付レコード”と表記されていた。記念すべき第1号レコードとなったのは、エキゾチックな反戦歌謡、三船和子「ベトナムの赤い月」で、カップリングも川田キク「世界連邦太平音頭」という、平和主義に満ちたものであった。ちなみにそれは「MA-001」の特別な品番で、通常のものは「KA-1」からスタートしている。そちらの1番もやはり三船和子で「たった一人で/しのび酒」という盤。以下、津山洋子、大木英夫、曾我ひさ路、丘千恵子と続き、6枚目の「君が好き/銀座かぐや姫」でデビューしたのが千昌夫である。千はエレキ・ブームが盛り上がりを見せていた65年12月にエレキ歌謡「若い恋人たち」を出した後、3枚目となる「君ひとり/星影のワルツ」を66年4月にリリース。B面だった「星影のワルツ」が時間をかけての大ヒットに至る。
「星影のワルツ」は発売から実に2年を経た68年の春になってヒットチャートを駆け上り、同年の年間売上げ1位を記録するミリオンヒットとなったのだった。それまでにも、山本リンダのデビュー曲「こまっちゃうナ」や、津山洋子・大木英夫のデュエット「新宿そだち」などのヒットもあったが、冒険作が多い故にヒット率の決して高くなかったミノルフォンを一気に潤わせた。一方で、かなり異色な作品が並んだラインナップは歌謡曲マニアにとって面白音源の宝庫だ。ちょっと挙げてみても、トリオ・ザ・マンティス「あなたが好き好き」、ポール大源寺「四畳半ブルース」、レモンレモンズ「夢みるツイッギー」、滝しんじ「ケメ子がなんだい」、岸信子「貴方ほんとにニクラシカ」、司美智子「あなたっていいわ」、加藤芳郎「真人間の歌」等々・・・新興メーカーならではの果敢な新人登用でユニークな作品が次々と送り出された。もちろん、千昌夫をはじめ、山本リンダや五木ひろし、森昌子といった大スターを輩出していることもまた事実である。
ミノルフォンは72年に徳間書店に買収されて「徳間音楽工業」となった後も、ミノルフォン・レーベルは続いた。83年には現在まで至る「徳間ジャパン」に改称されて存続。創立50周年を迎えた今年の春には、小西康陽氏の選曲・監修によるコンピレーション・アルバム3タイトルが編まれ、埋もれていた多くの楽曲が収録されて話題になっている。遠藤実は多数の作品を世に送り出し続けた後、2008年に76歳で逝去。その功績に対して旭日重光章が授与され、翌年には国民栄誉賞の栄誉に浴した。作曲家では、古賀政男、服部良一、吉田正に次ぐ4人目の受賞であった。
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