2016年07月04日
スポンサーリンク
2016年07月04日
1967年(昭和42年)の本日7月4日、タカラ(現タカラトミー)が日本の玩具市場に一人のおしゃまな少女、いや少女人形を送り込んだ。その名は「リカちゃん」。
来年でデビュー50周年を迎えるこの少女人形は、高度成長期を経た日本のガーリー文化を根本的に変えてしまった。英米は正にサマー・オブ・ラブの真っ最中。日本のカルチャーもその影響を多大に受け、GSブームが盛り上がり始めた絶好のタイミングで、ローティーンの揺れる乙女心をその垢抜けた瞳でイチコロにしたリカちゃん。その発売のタイミングは、あのビートルズの傑作『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が日本の市場に登場するまさに前日であった。この後、ツイッギー来日、レナウンの「イエ・イエ」コマーシャル放映開始と、ガーリー革命を推進する出来事が相次ぐことになる。
と言っても、世代的にはほぼリアルタイムとはいえ、当時の「男の子」にとっては「女の子」の遊戯の世界なんて神秘そのもの。筆者は一人っ子だった故、それを覗き見するチャンスさえ滅多に巡ってこなかった。たまにコマーシャルを見て、ああそんなものかと思う程度。後々当時の文化を考察するチャンスが巡ってきて初めて、その影響力の大きさに気付かされるのである。フランス人と日本人のハーフというキャラ設定からして、登場に約半年先駆けて発売されたザ・タイガースのデビュー曲「僕のマリー」に登場するフランス人形を想起させてしまう。当時のロックが体現していたエキゾチシズムと同質のものが、リカちゃんの瞳に潜んでいる。
さて、ここからが本題。「音楽」コラムですから。なめ猫、NOVAうさぎ、ふなっしーに至るまで、現在も絶えることを知らないキャラクターソングビジネスにおいても、「彼女」は先駆者だった。
GSブームが下火になりつつあった1969年、リカちゃん人気の方はますます加速度を増す一方。このお人形に、歌手としての生命体を与えようという動きが始まる。既にオバQやケロヨン、トッポ・ジージョなど、テレビまんがや人形劇を活動拠点とするキャラクターが、声優に歌わせることで「歌手活動」を開始した例はあったが(現在のアニソンの主流はそこから着々と受け継がれるものである)、リカちゃんはこの段階では単なる人形にすぎなかった。前年開始されていた、まさにインタラクティヴ・ビジネスの先駆けというべきテレフォンサービス「リカちゃん電話」(ちなみに現在もサービス継続中)に於いて、既に言葉を喋るキャラクターとしての位置付けが始まっていたが、歌手化はそれをさらに先に進める試みだった。必要なのは、歌を歌うことができる「中の人」だった。
ここで起用されるのが、同年2月「湖に眠る恋」でテイチクから歌手デビューしていた18歳・涼川真里(現・小林由紀子)。彼女を「歌手・香山リカの中の人」に設定し、良き友いづみ・わたると組んだ「リカちゃんトリオ」や、前述した「リカちゃん電話」のテーマソング(トーク部分は、テレフォンサービスに於ける初代「中の人」を30年間勤めたベテラン声優・杉山佳寿子が担当)などがシングル盤として、さらにアルバム『ワーイ! リカちゃん』も70年にリリースされた。これが67年だったら、実際にハーフ少女のマーガレットなり小畑ミキなりが起用されていたかもしれないが、古賀政男先生の門下ということで、演歌系の歌唱に定評があった涼川も、溌剌とした歌声でぴったりはまっている。当時キャンペーンなどにも駆り出され、本業の歌手生活を凌ぐ多忙ぶりだったらしい。リカちゃんの「中の人」として歌いつつ、その魅力を第三者から捉えた内容の歌詞で聴き手との同調を図ったことが画期的なこれらの楽曲は、同年放映を開始した国民的アニメ「サザエさん」の劇伴も手がける巨匠・越部信義が作・編曲を担当している。
71年には、実際のリカちゃんの設定年齢に近い9歳の少女歌手が発掘され、「歌手・香山リカ」として東宝レコードから「リカちゃんのタンゴ」でデビュー。「中の人」ではなく生命体をアピールするためか、ジャケットでは「リカちゃん本体」とほぼ同サイズと化して2ショットを披露。「黒ネコのタンゴ」など、当時のキッズノベルティソング路線を踏襲した一曲だが、歌い方はかなり背伸びした印象。
さらに74年には初代が人間界の成長の掟に逆らえなかったためか(?)、新たに2代目「歌手・香山リカ」が抜擢され、キングから「リカちゃん音頭」をリリースした。当時の人気キャラは、たとえおしゃまさんであれ音頭を歌うことがマストとされていたのである。アイドルポップ時代に突入した影響か、歌い方も舌ったらずで年相応。この2代目は、さらに翌年「お医者さんブギ」という、昨今の所謂萌え歌・電波ソングも真っ青な迷曲を第2弾として発表。こちらのジャケ写からは、何と「リカちゃん本体」が姿を消している。「香山リカ」というアイデンティティを所持した生身の人間というその姿に、現在の精神科医・香山リカのルーツが垣間見れるかも?
その後も、元祖アイドル声優・小森まなみを起用したり、モーニング娘。を踏襲した等身大アイドルユニット・Liccaへと発展したり、リカちゃんの音楽活動は現在に至るまで黙々と続けられている。デビュー40周年となる2007年には、涼川真里歌唱の3曲や「リカちゃん音頭」を収録した記念コンピレーションCD『リカちゃん わたしだけのアイドル』がリリースされているが、50周年となる来年も何らかの動きに期待したい。個人的には、昨年涼川真里名義での全録音がCDにまとめられた時、悲劇の女優・尾崎奈々とのカップリングよりも、リカちゃん関連音源を足して下さる方に期待していたのだが、大人の事情なんて夢のない言葉は使わないでおきましょうね…。
47年前の今日、1971年(昭和46年)9月18日、その後の食文化を変えた画期的な新商品「カップヌードル」が、日清食品株式会社により発売開始された。1970年代前半に飛躍的進歩を遂げたインスタン...
スーパーモデルという言葉が知られるはるか前の1967年、世界的に有名になったモデルがいた。ツイッギーである。スウィンギング・ロンドンと呼ばれたその時期のロンドンを視覚的に象徴していた存在だった。...
昭和の時代を過ごした日本人なら誰もが知っている黄桜「かっぱの唄」をはじめ数多のCMソングを歌い、元祖“コマソン(=コマーシャルソング)の女王”の称号を得た楠トシエ。黒柳徹子らと並ぶ最初期からのテ...
11月18日は偉大なる作曲家・古賀政男の誕生日。藤山一郎が歌った「丘を越えて」「影を慕いて」をはじめ、戦後もレコード大賞を受賞した美空ひばりの代表作「柔」など、国民的な作曲家として数多のヒット曲...
ジェリー・ウォレスが濃い目に歌う「マンダム〜男の世界」にのって、カウボーイのチャールズ・ブロンソンが登場。荒野を行く彼が水辺にたどり着いてテンガロンハットで水をかぶり、そしてあごをなでながらつぶ...
1960~70年代に、“CMソングを量産し、洋楽的センスを多分に持ち合わせた職業作家”によるものや、“流行をいち早く紹介する情報番組としての役割を担っていたTV番組絡みの楽曲”という傾向があると...
江崎グリコのキャンペーンとして、平成11年(1999年)11月11日に「ポッキー&プリッツの日」が設定されたものだが、ここ数年のCM展開と、Twitter等のSNSでの盛り上がりでかなり多くの人...
2003年の今日8月30日は、米国の俳優、チャールズ・ブロンソンの命日(享年81歳)。ブロンソンといえば「う~ん、マンダム!」のCM。このCMから洋楽としては異例の大ヒットとなった「マンダム~男...
唱歌、歌謡曲、GS、フォーク、ニューミュージック、J-POPと移り変わっていく日本のポピュラーミュージックと常に連動してきた「CMソング」。「光る東芝の歌」や「日立の樹(この木なんの木)」のよう...
1969年8月、「天使のらくがき」を引っさげ日本デビューした彼女は、未だ当時の洋楽界に於いては主流のひとつだったフレンチ・ポップスの若手女性歌手の一人だった。