2015年12月28日
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2015年12月28日
昭和の時代、戦後最大のスターといえば、女性は美空ひばり、そして男性は石原裕次郎という意見にまず異論はないであろう。"銀幕のスタア"が最も輝いていた日本映画の黄金時代、颯爽とスクリーンに登場した稀代のヒーローは1934年12月28日生まれ。デビュー時は21歳であった。
などというと、いきなり主役だったかと思われがちだが、最初の出演作『太陽の季節』(56年5月公開)では、まだ脇役だった。兄・石原慎太郎が芥川賞を受賞した同名小説の映画化で、弟の映画出演を条件に、慎太郎は映画化を許諾したのだという。そこには、父親の死のショックから遊行三昧になっていた裕次郎を心配し、更生させようという兄の想いがあった。当時には珍しい178センチの身長に長い脚で抜群の存在感を示した裕次郎は、それから2か月後に封切られた出演第2作『狂った果実』では主役に抜擢される。やはり石原慎太郎の小説を基にし、才気煥発な中平康監督がメガホンをとった傑作によって、日活の新人・石原裕次郎の名は一躍全国に轟き渡ることとなった。そしてこの作品で、歌手・石原裕次郎も誕生するのである。
劇中でウクレレを弾きながら歌われる「想い出」は、寺部頼幸の作曲。弟の寺部震とともに、ココナッツ・アイランダースというハワイアン・バンドで活動したギタリスト&作曲家である(58年に出された10吋アルバム『裕ちゃんと貴女の部屋』には、慎太郎の作詞、寺部の作・編曲による「リコール ツー マイ メモリー」が収められている)。映画の挿入歌はこの曲のみで、「狂った果実」は劇中ではインストのみ。裕次郎の歌はテイチクからレコードで発売された。映画の音楽を担当した佐藤勝の作曲で、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズがバックを務めている。その「狂った果実」と「想い出」がカップリングされたSPが、裕次郎の歌手としての記念すべきデビュー盤となった。学生時代からハワイアン音楽に傾倒していた裕次郎にとって、この上ない歌手デビューとなったのは言うまでもない。
それでも初期はまだ歌手としての専属契約は結んでいなかった様で、裕次郎がトップスターへと駈け上るきっかけとなった大ヒット映画『嵐を呼ぶ男』にしても、主題歌のレコード発売に際してテイチクは当初難色を示した。それではと日活が「唄うドラマー」のタイトルでフォノシートを作って劇場で販売したところ大人気を博し、慌てたテイチクが新たにレコーディングしてシングル盤を発売したというエピソードがある。もちろんレコードも大ヒットに至るわけで、正式な専属歌手となったのはその頃だったと思われる。
そもそもテイチクでは、ジャズシンガーのディック・ミネがポピュラーソングをカヴァーする一方で、並行して展開された古賀政男や大久保徳二郎作のオリジナル・ヒットがあり、その中の「夜霧のブルース」などに、後のムード歌謡のルーツが見られる。さらにこのジャンルの土壌となったラテンやハワイアンでは、有馬徹とノーチェ・クバーナ、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズといったバンドが活躍していたところに参入したのが裕次郎だったわけで、同社のムード歌謡の担い手となる運命だったのかもしれない。62年にディック・ミネ「旅姿三人男」「夜霧のブルース」などをカヴァーした後、64年の「俺はお前に弱いんだ」はバッキー白片の作。65年にはラテンバンドのトリオ・ロス・カバジェロスを率いていた鶴岡雅義の「二人の世界」を歌ってヒットさせ、同名の映画も作られた。ムードアクションと呼ばれる路線の代表作である。鶴岡は以降も「逢えるじゃないかまた明日」などを提供している。そして、67年には、歌手としての代表作となる「夜霧よ今夜も有難う」が生まれる。作詞・作曲の浜口庫之助もラテンバンド、アフロクバーノの主宰者であったことを考えると、一貫している。スーパースター・石原裕次郎はムード歌謡の歴史を語る上でも欠かせない歌手なのである。なお、意外なことに「NHK紅白歌合戦」には、応援ゲスト以外では出演歴はない。「歌は素人だから」というのが辞退の理由であったという。
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