2017年07月31日
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2017年07月31日
ジェイムス・テイラーの「きみの友だち」が全米チャートで1位になったのは、1971年7月31日、そのとき、2位にレイダースの「嘆きのインディアン」、そして、6月から7月にかけて5週もの間ずっと1位だったキャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト/アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ」が、まだ3位にいた。
「きみの友だち」は、そのキャロル・キングの作品で、彼女も、アルバム『つづれおり』に収録している。そして、そこでは、ジェイムスがギターを弾いていた。また、この「きみの友だち」にこそキャロルは参加しなかったが、この曲が収録されたジェイムスのアルバム『マッド・スライド・スリム』では、ピアノやコーラスで多くの曲に参加した。
それどころか、1971年春のジェイムスのツアーには、キャロルがオープニング・アクトとしても参加、そうやって、この時期、二人は互いに協力しあいながら人気を集め、それが、シンガー・ソングライターという新しい動きへの扉を開くことになるのである。
ジェイムスとダニー・コーチマー(ここではダニー・クーチの表記)によるアコースティック・ギターに、ラス・カンケルとリランド・スクラーの控えめなリズム、それらが奏でる過不足のない演奏に乗せてジェイムスは歌う。他には、ジョニ・ミッチェルが寄り添うように、一緒に歌っているだけだ。
ジェイムスは、語りかけるように、歌っている。リヴィング・ルームのソファに座り、アコースティック・ギターでも爪弾きながら歌っているかのようにさえ見える。沢山の人にきこえなくたっていい。遠くに届かなくたっていい。そばにいる、いちばん大切だと思える友人だったり、家族に伝えることが出来れば、それでいい。
そういう歌声だった。穏やかで、親しげで、言葉の一つ一つに誠意をこめて、語りかける。その相手が、一人ではないことを、友だちがそばにいることを伝え、困ったときや辛いときには、その存在を忘れないように、と励ますのだ。これが、大袈裟で仰々しい口調だったり、感動の押し売りのように、わざとらしい歌いかただったら、ヒットすることもなかったに違いない。
そもそも、彼は、順風満帆な人生を送っていたわけではない。ボストンの医者の息子として、何不自由なく暮らしながらも、その心は傷つきやすく、薬物依存にも悩まされた。ビートルズのアップル・レコードからデビューしたが、ビートルズの解散騒動に巻き込まれ、失意を抱きながら米国に戻った。育ちの良さが感じられるその歌声には、翳りのような表情がいつも寄り添っていた。
時代も時代だった。若者たちが、それまでの大人たちに、また大人たちが築いた世の中に対して異義を申し立て、新しい生き方や価値観を問いかけた時代だ。ベトナム戦争や人種差別への反対運動を軸に、若者たちは既存の社会や制度を激しく揺さぶった。
その結果、ウッドストック・フェスティバルのような夢を見ることはできたが、夢は永遠に続かない。嵐が吹き荒れた後に残ったのは、輝かしい未来への期待というよりはむしろ、挫折感に近い虚しさだったり、不安だったり、どちらかと言えば、重々しさのほうが勝っていた。そういう時代の気分に、ジェイムスは、丁寧に誠実に向き合った。また、アレックス、リヴィングストン、ケイトといったように、兄弟妹たちも次々とデビュー、米タイム誌が、1971年3月には彼を表紙に、彼と、その家族や兄弟妹たちの特集を大々的に組んだほどだ。
そういう中での「きみの友だち」のヒットは、当時の若者たちにとっても、もちろん彼にとっても大きな意味があった。いまふり返ってみると、それをどう受け止めるかによって、その人の、その後の人生は変わった、そういう歌だったような気がする。ちなみに、このときジェイムス、23才だ。
若かったなあ、とふり返って思うけれど、彼はいまもなお、生きることに価値をもたらすような、あるいは意味を問いかけるような歌をうたい続けている。それどころか、2015年には、67歳にして、アルバム『ビフォア・ディス・ワールド』を全米チャートで人生初の1位(アルバムでの)に輝かせたばかりでもある。これって素敵だなと思うし、こういう人は、そうはいないとも思う。
≪著者略歴≫
天辰保文(あまたつ・やすふみ):音楽評論家。音楽雑誌の編集を経て、ロックを中心に評論活動を行っている。北海道新聞、毎日新聞他、雑誌、webマガジン等々に寄稿、著書に『ゴールド・ラッシュのあとで』、『音が聞こえる』、『スーパースターの時代』等がある。
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