2017年06月19日
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2017年06月19日
シンガー・ソングライターという言葉、いまでは誰もが普通に使っているが、いつごろから使われはじめた言葉か、知っている人は意外に少ない。日本では、1970年から71年ごろにかけてまず洋楽アーティストの紹介に使われ、それがヒット曲を出しはじめたフォークやポップス系の自作自演アーティストの総称として、次第に広まっていった。そのイメージ作りに貢献したのは男性ではジェイムス・テイラー、女性ではキャロル・キングだった。
ジェイムス・テイラーは1970年の「ファイア・アンド・レイン」に続いて、1971年に「君の友だち」を大ヒットさせた。その間にキャロル・キングの「イッツ・トゥ・レイト」がヒットした。後2曲は1971年の夏に全米ナンバー・ワン・ヒットを記録。どちらもキャロル・キングが作曲したもので、「ファイア・アンド・レイン」でピアノを弾いていたのもキャロル・キングだった。
「イッツ・トゥ・レイト」のヒットを受けて、その曲を収録した彼女の『つづれおり』は1971年の全米アルバム・チャートの1位を15週間にわたって独走。翌年2月に発表されたグラミー賞で彼女は最優秀アルバム(『つづれおり』)、レコード・オブ・ザ・イヤー(「イッツ・トゥ・レイト」)、ソング・オブ・ザ・イヤー(「君の友だち」)、最優秀女性ポップ/ロック・ヴォーカルを受賞した。女性アーティストの四冠は史上初のことだった。
ジェイムス・テイラーはギター弾き語り、キャロル・キングはピアノ弾き語りと、演奏楽器はそれぞれ異なるが、二人の活躍と音楽が業界にも世間にもシンガー・ソングライターの存在の大きさを認めさせたことはまちがいない。以後、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウン、ジム・クロウチ、レナード・コーエン、ローラ・ニーロ、ランディ・ニューマンら、他のシンガー・ソングライターにも脚光が当たるようになったのだ。
そのターニング・ポイント的なヒット曲「イッツ・トゥ・レイト」は、ラテン・リズムを使った穏やかな演奏やぬくもりのある歌声とはうらはらに、心が通わなくなったカップルの気持ちをうたった歌だ。歌の中でヒロインは相手に向かって、何とかしようとしたけど、気持ちをごまかせない、もう遅すぎる、一緒に暮らせないわと三行半を突きつける。間奏のギター・ソロなど演奏がなめらかなだけに、ほろ苦さがよけいひきたつ歌だ。
1960年代前半のニューヨークで、アルドン・ミュージックのスタッフ・ソングライターとして「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」「ロコモーション」「アップ・オン・ザ・ルーフ」など無数のヒット曲を作曲していたキャロルは、シンガー・ソングライターに転身することには必ずしも積極的ではなかった。
作曲家として裏方でいるときはメディアへの露出はかぎられたものだが、アーティストとして舞台に上ると、ファンの好奇心を受け止めなければならない。歌詞を自作すると、いちいちプライベートな生活との関わりもせんさくされる。音楽は作りたくて作っているのであって、注目されることが目的ではないというのが彼女の考え方だった。
その意味で、シンガー・ソングライターのブームは、従来のショウ・ビジネスとは異なるあり方のスターの登場を物語る出来事でもあった。爆発的に売れてしまったので、その後、彼女の生活は変わらざるをえなかったのだが。
≪著者略歴≫
北中正和(きたなか・まさかず):音楽評論家。東京音楽大学講師。「ニューミュージック・マガジン」の編集者を経て、世界各地のポピュラー音楽の紹介、評論活動を行っている。著書に『増補・にほんのうた』『Jポップを創ったアルバム』『毎日ワールド・ミュージック』など。
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