2019年03月12日
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2019年03月12日
ボニー・レイットをゲストに迎えた2月~3月上旬に行われたアメリカ・ツアーが、ちょうど終わったばかり。4月と5月はラスヴェガスのシーザーズ・パレスでのロング・ラン公演、7月には地元ボストン交響楽団との2夜公演が決まっている。おそらく恒例のサマー・ツアーのスケジュールも、もうじき発表されることだろう。日本ではなかなか観ることができないのが残念な“JT”だが…。
ファンの間では“JT”の略称でちゃんと通じるジェイムス・テイラー。時の流れは早いもの。今日で71歳になったが、いまもバリバリの現役アクトだ。ロック全盛の1970年代初期、時の気風に抗うようなもうひとつの潮流“シンガー・ソングライターの時代”を引き寄せた男。以来、彼の数あるディスコグラフィには、駄作・凡作は1枚もない。温もりとメランコリーが共存する歌。内省的であり、自分自身に向けて書かれたような歌が、時代と共振してきた。最初のブレイクスルー曲「ファイアー・アンド・レイン」は社会や意識の変革を夢見た60年代の若者の挫折感と空虚さを癒しながら、1970年秋、ヒット・チャートの3位に達する。彼の作り出す音楽やアルバムへの高い評価は、その時点から一歩も後退していない。第一級のクォリティを保ったままこんにちに至っていることは驚異的だ。
1948年3月12日ボストンの生まれ。父は医師、オペラ歌手志望だった母は正規の音楽教育を受けていた。ジェイムスの幼少期、父がノース・キャロライナ大学の医学部長に就任したことで、一家は南部に移住する。そしてアメリカ東部のインテリジェントな家風と南部の寛いだ生活環境がジェイムス少年の個性を育んだ。母の音楽の素養もあってか、テイラー家は音楽にあふれていた。ファンの方ならよくご存知と思うが、次男ジェイムスはもとより、長兄アレックス、長女ケイト、三男リヴィングストン、末弟のヒューにいたるまで、テイラー家の子供たちは全員がレコーディング・キャリアを歩み、しかも彼らには“血筋”と言っていいほどに、独特の共通した声質が認められる。あの声はまさに“テイラー・メイド”、特別な意匠だ。
さて、やがてジェイムスは東部のプレップ・スクールに入学するのだが、南部での生活とのギャップから学業のプレッシャーに耐えられなくなって転校。病院で療養をしながら高校を卒業している。そのころにはすでにオリジナル曲を書き始め、音楽活動にターゲットを絞っていた。相棒は少年時代の夏休みに知りあっていたギタリストのダニー・コーチマー。彼らはフライング・マシーンというフォーク・ロック・バンドを結成し、ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで活動を開始。シングルも発表したのだが成功に至らず、テイラーはひとりロンドンに赴く。1968年のことだった。
ちょうどロンドンではザ・ビートルズがアップル・レコードを立ち上げ、アーティスト募集をしていたころ。僚友コーチマーはアップルのプロデューサーに就任したピーター・アッシャーの電話番号をジェイムスに教え(コーチマーはアッシャーのデュオ、ピーター&ゴードンの渡米時にバックを務めたことがあった)、ジェイムスがデモ・テープを持ち込むと即座に契約が成立。レコーディングにはポール・マッカートニーはじめ周辺人脈が助演。スタジオに様子を見にやって来たジョージ・ハリスンは、ジェイムスの歌う「彼女の言葉のやさしい響き」(Something In The Way She Moves)にインスピレーションを受け、冒頭の歌詞をそのまま借用して、ビートルズおよび彼の代表曲「サムシング」を生むことになる。
期待されたデビュー作『ジェイムス・テイラー』(68年末発売)だったが、アップルの社内騒動もあり、アルバムは200位圏内にも達しなかった。プロデューサーのピーター・アッシャーは、ジェイムスの才能に賭けて彼のマネージャー兼プロデューサーとなり渡米。新たにワーナー・ブラザーズと契約し、先に触れた「ファイアー・アンド・レイン」を含む『スウィート・ベイビー・ジェイムス』で再スタートを切って、ついに本格的な成功をつかんだ。その余波で前作のアップル・デビュー盤も、遅まきながらチャートインするという余禄もついた。
ジェイムス・テイラーの魅力は先に触れた私的でメランコリックな歌や歌詞だけではない。アコースティック・ギターによる独自性にあふれる見事なフィンガーピッキング、簡潔なサウンドの一方で、巧みな和声感覚を備えた音楽性の高さ。『マッド・スライド・スリム』(71年)、『ワン・マン・ドッグ』(72年)とアルバムを重ねるたびに、歌も音楽性も高度に磨き上げられていった。フォークやフォーク・ロックの範疇を越えて、ジャズやR&B/ソウル、ブルース、ロックンロール、カントリーを統合し、さらにポップ性をも備えた高度なオリジナリティを獲得していく。レギュラーのギタリストだったコーチマー、リー・スクラー(ベース)、ラス・カンケル(ドラムス)らは、ジェイムスのバッキングの腕を買われてトップ・クラスのスタジオ・ミュージシャンに巣立っていった。またジェイムス初のNo.1ヒットは、ともにシンガー・ソングライター時代を並走しながら牽引したキャロル・キング作品「きみの友だち」(You've Got A Friend)。この歌に聴かれるように、ジェイムスは彼のオリジナルの名曲のほかに、カヴァー曲にも格別な魅力がある。マーヴィン・ゲイの「ハウ・スウィート・イット・イズ」、チャック・ベリーの「プロミスト・ランド」、ジミー・ジョーンズ「ハンディ・マン」、ドリフターズ「アップ・オン・ザ・ルーフ」(キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン作)ほか、ビートルズからバディ・ホリーまでも含むカヴァー曲は、オリジナル版とは質感の異なる、まさに“テイラー・メイド”な、味のある解釈を伴っている。
1973年初頭の初来日公演以来、何度か日本にやって来たジェイムスだが、2007年のキャロル・キングとの再会共演記念ライヴから発展したツアー(2010年)以来、本格的な来日公演を行っていない。直近の新作は2015年の『ビフォア・ディス・ワールド』。ジェイムスの高い音楽性とその味わいは、まったくシュリンクしていない。落ちていない。早く新作を聴きたい、もう一度ライヴを観たいという思いはつのるばかりだ。
≪著者略歴≫
宇田和弘(うだ・かずひろ):1952年生まれ。音楽評論家、雑誌編集、趣味のギター歴は半世紀超…といろんなことやってますが、早い話が年金生活者。60年代音楽を過剰摂取の末、蛇の道に。米国ルーツ系音楽が主な守備範囲。
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