2015年07月15日
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2015年07月15日
1968年初頭、前年のクリスマスに日本発売されたシングル「マサチューセッツ」がオリコンNo.1ヒットとなったことで、日本でのビー・ジーズ人気は大ブレイク。以後「ワールド」「ワーズ」「ジョーク(I Started A Joke)」と順調にヒットを放ち、ラジオのリクエスト・ランキング上位や音楽雑誌グラビアの“常連”としてビートルズ、モンキーズと肩を並べる存在となった。彼らの美麗なコーラス・ワーク、どこか哀愁味のあるメロディ・ラインが日本人好みだったことも大きいが、当時のGSたち(とりわけ同じポリドールからレコードをリリースしていたザ・タイガース)がこぞってステージ・レパートリーに取り上げた“広報効果”も見逃せない。事実、GSブーム退潮と共に日本におけるビー・ジーズ人気にも翳りが見えてくるのである。
GSブームも終焉を迎えつつあった46年前(1969年)の今日7月15日、本国イギリスでの発売から半年以上遅れてシングル「若葉のころ(First Of May)」がリリースされた。本国同様にそのタイトル(作者バリー・ギブの愛犬の誕生日らしい)とは似つかわしくない時期に発売されたことやジャケットの地味さ(写真参照)も災いしたのか、イギリス6位、ドイツ3位、オランダ2位にランクされたこの曲も日本では惨敗。オリコン最高位80位止まりだった。わずか3カ月前にリリースされた前作「ジョーク」が20万枚近いセールスを記録し、オリコン28位にランクされていたことと比較してもその凋落ぶりがわかるだろう。
前述どおり、その要因はGSブームの退潮にあるのだが、さらに突き詰めて考えると、日本におけるビー・ジーズ楽曲広報活動最大の“貢献者”であるタイガースの加橋かつみが69年3月5日に脱退してしまったことも大きなダメージとなったのではないだろうか? 本国でリリースされた直後(68年12月)からタイガースの人気レパートリーだった「ジョーク」と、タイガース時代の加橋がついに歌うことは無かった(後任の“ビー・ジーズ担当”岸部シローの持ち歌となった)「若葉のころ」の明暗はここで決まってしまったのかもしれない。もしも、「ジョーク」同様に本国発売直後に加橋在籍のタイガースのレパートリーになっていれば、また違う展開を迎えたであろうことは十分に考えられる。
このように日本では発売時期に恵まれなかった「若葉のころ」だが、2年後に思わぬ敗者復活の機会が訪れる。1971年6月8日に日本公開されたイギリス映画『小さな恋のメロディ(Melody)』(監督ワリス・フセイン)の中で、主人公のふたり(マーク・レスターとトレイシー・ハイド)が初めて放課後にデートする印象的なシーンのBGMに同曲が用いられたのである。それはちょうど2年遅れで制作されたプロモーション映像と言って良いほどの劇的な効果をもたらした。
「若葉のころ」以外にも「メロディ・フェア」「ラヴ・サムバディ」「イン・ザ・モーニング」「ギヴ・ユア・ベスト」といったビー・ジーズ楽曲が全編に流れるこの映画は日本で大ヒットを記録。71年6月10日にリリースされたオリジナル・サウンドトラック・アルバムはサントラ盤としては異例のオリコン1位に輝き、同アルバムからのシングル・カットとして同時発売された「メロディ・フェア」と「若葉のころ」のカップリング・シングルは「マサチューセッツ」以来の大ヒットとなり、オリコン3位にランクされた。苦節2年…「若葉のころ」は見事復権を果たしたのである。
映画『小さな恋のメロディ』は日本以外ではアルゼンチンでヒットしたぐらいで、本国イギリスをはじめヨーロッパ全域、米国では全敗。もちろんそれらの地域ではサントラ盤のヒットもビー・ジーズ楽曲のリバイバルも無かった。本編のDVD化、サントラ・アルバムのCD化が行なわれたのは世界でたったひとつ日本だけである。1977年には映画雑誌『ロードショー』(集英社)が創刊5周年記念読者プレゼントとして、トレイシー・ハイドの肉声メッセージと『小さな恋のメロディ』名場面の音声を収録した特製レコード(17cm EP/ピクチャー・レーベル/盤面黄色)を制作しているが、初公開から6年も経つのにこんなノベルティ・グッズが登場するのは、世界広しと言えども日本だけだろう。
「若葉のころ」はその後、1996年にKinki Kids主演の同名TVドラマの主題歌に起用され、CDシングルがオリコン25位まで上るリバイバル・ヒットとなった。また、2012年1月24日に日本武道館で行なわれた沢田研二の“ほぼタイガース”ツアー最終公演では、後期タイガースの“ビー・ジーズ担当”岸部シローが車椅子で登場し、現役時代の持ち歌であるこの曲をアカペラで披露。脳梗塞の後遺症で闘病中の不自由な身体にも関わらず、タイガースのメンバーたちに見守られながら懸命に歌う彼の姿は、会場を埋め尽くした新旧ファンたちに大きな感銘を与えたのである。
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